探偵は、語る。その軀から語る新たなる高みを。
先日、盛大に反省した私は、次なる高みへ向かうべく歩を進めた。
私の心の高みとは一段一段が、その素人目にはとても理解し難い作りになっている。心のバリアフリー化が先進的に進んでいるのである。
ソコに段差という障害が真に存在するのかを確認する方法として確実なのは、足を滑らせて引っ掛かりがあるか、その感触のみで感じるという方法が有効とされている。
一言で言うなれば、自分に優しく出来ている。また、直ぐに戻れるので一進一退を繰り返す心の高みなのだ。よろしく。
そしてなにより、ぎっくり腰にも優しく出来ている。
なぜ、私が今、こんなにも暗中模索の五里霧中の中に存在しているのか沈思した。
それは、バランスが崩れていたのではないのだろうか。
一つの回答が出た。
筋トレが出来ないからだ。
筋トレが出来ない身体。
筋トレが出来ない軀。
もしかしたら、これが私を鬱屈とさせて、限りないルサンチマンに陥っていた原因ではないのだろうか。私は、私のプロフィールを振り返ることにした。
やはりだ。私が尊敬する探偵(職業には拘らず)に、明智小五郎、金田一耕助、遠山の金さん、濱マイク、杉下右京、そして、田和弘延がいる。
ズラリと並ぶ名探偵の中に輝く一人。
それが私だ。
私は、私に正直だ。私の事なら推理出来る。
掴みどころのない軀からずいぶんと、遠ざかっている。主軸に読書、筋トレとある。筋トレが出来ていない。
未だに、痛いからだ。
痛い身体。
痛い軀。
これが、原因だろう。私は、未だに左足が突っ張り、完全に伸ばせない。コルセット無しでは不安で、日常生活に笑顔を振り撒けず、ましてや振り撒いても貰えず、その笑顔だけが自慢の文学中年の笑顔が奪われた事が原因だと推察する。なんならしゃがもうとする前に、一度大きく深呼吸して、
いくぜ‼️しゃがむぜ‼️
と、心でお祈りしてからしゃがまないと、膝と腰が私からの脱却を試みて直ぐに旅立ってしまいそうなのである。
徐々に緩和されているが、まだもう少しかかりそうだ。
その間、筋肉達は私から去り、私を見る女性達の眼差しも去り、確実に一つの終焉を迎えた気になっている。去年の私とはまるで違う。お帰り脂肪達。もう別れないよと言わんばかりだ。より強固な絆になりつつある。
いったい何度、文学中年の心を折れば気が済むのか。
これを取り戻すのが、私を取り戻す事だと結論した。
かといって、無理に運動は出来ない。何をすればいいのか、何をしていけばいいのか。
来るべき取り戻しに備えて私が出来ること、読書をして女性を知る。これが一番の近道でリハビリだろうと感じた。今の私に、新しく女性を見る心眼が育ち、さらに真贋を見極められればそこに筋肉が戻って来た時の自分を想像してみると、ルサンチマンからの脱却が見えるのではなかろうか。
ここに思い至るまで、随分遠回りをした。
随分迷惑をかけてきた。
そうだ。やっぱり私は、モテたいのだ。
世に言う啓蟄とは、冬籠りの蟲が這い出る。事を言う。
私は、読書、筋トレと蟲も好き。
蟲、見つけたいなぁ。昆蟲捕まえたいなぁ。
手負いの文学中年は、一度手放した筋肉の鎧を再び纏い、あらたな高みへ這い出る決意をした日としよう。
なんのはなしですか
そう言って私は、谷崎潤一郎の「刺青」を手に取り、女性の妖艶さを発見する喜びに酔いしれるところから、取り戻そうと決意した。
自分に何が書けるか、何を求めているか、探している途中ですが、サポートいただいたお気持ちは、忘れずに活かしたいと思っています。