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サッカーと私の本気のはなし

持ち得る全ての情熱を捧げます。

サッカーを応援しているほとんどの人は、私みたいなサッカー素人だ。分かるのはルール。旬な選手。時々のトレンドのフォーメーションくらいだ。

誰しもが専門的な知識で物事を書けるワケではない。サッカーの専門的な記事を読み込んでも実体験を伴わないため想像が難しい。

そもそもそんな事をサッカーに望んでいない。
それを私は伝えたい。

1998年に日本サッカーが初めてW杯フランス大会に出場した時、高校生だった。ヤニくさい友人の部屋でアルゼンチン対イングランドの試合をオアシスを流してずっと観てた。

当時高校で選択していた世界史で、丁度両国の軍事衝突の歴史を知った頃だった。

試合は報復行為で退場になったベッカムが、
「10人の勇敢なライオンと1人の愚か者」
と大バッシングを浴びる事になる試合だった。

世界の片隅でブラウン管で試合を観ていた私でも、両国の緊張感や気持ちが乗り移って来た。単純に揺さぶられた。

「どうなるの?これ。大丈夫なの?」

スポーツの一試合に過ぎないのに、ものすごく不安になった。

慌てて、両国の事を調べていたら、マラドーナの五人抜きの相手はイングランドだと知った。

自分は、全く関係ないのに一つのスポーツでこんなにも揺さぶられたのは、初めての経験だった。
初めて出場した日本は、どこか「勝てるわけない」「どこまでも通用するかな」「楽しみだね」みたいな、やはり少し観光気分だった。

3連敗で終えた大会で感じたのは、やっぱりなと感じた部分と勝てるだろと悔しい気分と半々だった。だけど納得はしていた。

それなのに、帰国した空港で選手に水をかけたりする映像が流れてきて、大衆心理による戦犯探しと一部暴徒化する海外フーリガンの真似。これが応援している事になるのかと意識の矛先の怖さを知ったが、サッカーを応援するという文化がまだ本当に根付いてなかったのだと今考えると思う。

2002年日韓共催に向けての4年間。
A代表は、あっという間に日本のシンボルになっていった。想いを乗せて託して応援するという醍醐味をjリーグから繋げ、世界のサッカー映像から日本人は真似をする事から始めたように思う。

海外に日本人選手が出ていき活躍するという興奮も覚え始めた。

私は成人を越え、ビールにサッカーという事を覚える。一つのサッカーボールに冗談抜きに夢を託す。バカげているかも知れないけれど、自分の代わりに戦っているんだと心の底から思う。それはそれはとても酔える事を知る。一緒に戦える事を知る。

ドイツ大会でヒデが引退して、南アフリカ大会で本田が活躍し、ブラジル大会で1勝も出来ない。一進一退を繰り返していることに私はサッカーの重みを感じるようになっていった。

そんな簡単なものではない。

それが知れて嬉しいし、サッカーを通して哲学できる気分が好きだった。

代表の試合にも観戦に行くようになり、親善試合はKIRINのビールしか家で飲まない。
そうやって少しの娯楽を広げる事で一緒に戦って来た。

試合前に気持ちを捧げ、90分後の勝利を願う。

ロシア大会でベルギーに負けたあと、やたらとネットニュースやテレビで目にしたのは、ゴミ拾いする日本人やロッカールームがキレイに清掃されていたニュースだ。

どこか満足して、全力を出して負けたのだから讃えようみたいな日本の文化を感じる。

それについて全く異論はないが、私は勝ちたかったし、もっと楽しみたかった。

サッカーは、あっという間に日本に根付いてその歴史の中でW杯をずっと一緒に観戦出来てそれはとても幸せなことだ。

地域社会との繋がりを大事にしたり、育成年代からしっかり育てようとメソッドを確立したり、サッカーボールを蹴る風景だって当たり前になってきた。怒らないで子供に考えさせる指導方法や、練習方法も確立されてきた。

サッカーを好きな人がそれぞれの方法で、サッカーに還元している土台は作れてきている。

それは嬉しいし、ワクワクさせる。

だけど、応援している大半は私みたいなサッカーを知らない人達だ。

4年のサイクルに毎回、熱い気持ちを抱いて気持ちだけでも送りたいと本当にボールを追っている。親善試合や他の大会だって応援する。だけどそれは全てW杯のためだ。

A代表では、ついに自分より年上の選手はいなくなった。

なんのための土台、なんのための育成、なんのためのサッカーか。

全てはW杯での勝利のための歴史だと私は思う。

イングランドとアルゼンチンから始まった私のサッカー観戦人生は、私と日本サッカーの歴史を声に乗せられるまで紡いで来た。サッカーが詳しくなくても、サッカーとビールが大好きだ。

この24年は、日本という国とサッカー文化を発展させて繋いで来た歴史の一部だと思う。

勝とう。心から応援しています。届け。

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