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52時間しか会えない

一年のうちにいったい何時間君と遊べるか計算したんだ。52時間。たったの52時間だったんだ。それはこの世界の決められたルールに則った概念で定められているらしい。

52時間を細分化する作業には僕は慣れていない。だけど、それが必要ならしなくてはならないし、せざるを得なくなる。

つまり、1週間に2回だけ君に会うことが出来る。それも1回30分だけだ。

それを多いと思うか、少ないと思うか。僕の世界の判断と君の世界の判断では違うだろ。僕が君と遊ぶ一歩はもしかしたら、ベストな一歩じゃない日があるかも知れない。

僕だって1週間に2回。それも1回30分しか会えない事を知っているんだ。だったらそれに合わせてベストなコンディションで君に会う努力をするのは当然だろ。なるべく君を悲しませたくないし、なるべく君に気持ちよく時間を過ごして欲しい。

僕だって大人だからね。

そうやって身なりを整えて、君にふさわしい格好をして君に向かう僕の気持ちも少しは理解して欲しいんだ。

それでも君は、いつも僕で遊ぶね。

それはカラカイなのかイジリなのか、世の中の流行に合わせてアップデートしていく君に付いていくのが本当のところ精一杯なんだ。

だけど君がもたらす52時間を、僕は台無しにしてはいけないね。僕を変えてくれる君には本当に感謝してるんだ。

そう。今日初心者マークをつけたとても可愛い女の子が運転している車を見つけた。それはコンビニで駐車しようと練習してたんだと思う。

助手席にいるのがもし仮にその子の彼氏だとしたら、僕は全力で邪魔したかも知れない。だけど母親だったから見守る事にした。

その子は今流行りのSUVに乗っていて控え目に初心者マークをボンネットの左側に貼っていたよ。少し大きな車だからね。僕は心配した。

その子はね。僕の視線を感じないように意識しながら駐車に集中しようとしていた。僕はね、立ち去ろうとしたんだけど、そのタイミングを逃してしまったし、僕の他にもそれを見守るおじさん達がいることを発見したんだ。

おじさんの集合体だ。

おじさんの一人は急に、NEW ERAのキャップなんてかぶりだして若返りを図ろうとしたんだ。それを見ていたおじさんもRay-Banのサングラスなんか出してきてね。無駄に若返ろうとしたんだ。

僕かい?そりゃ僕だって何かしらのアピールをしないといけないと思ったよ。だけど普段僕が身に付けているもので若返りの物なんてないんだ。だから僕はね。ポケットから文庫本を出したよ。

いつでも持ち歩いているのは本だけだからね。僕が持っていたのは、たまたま谷崎潤一郎の「鍵」だったんだ。

夫婦が日記の盗み読みをしながら、性生活を満喫する本さ。

その子の運転を盗み見てる僕にピッタリだとキャップとサングラスのおじさんに伝えたかったよ。

キャップ、サングラス、文庫本のおじさんが並んでまるでおじさん品評会みたいだったよ。

こうなると、誰が一番優しくその子の事を見守れるかという事になってくるね。それはそれで優しさの中の戦いだ。負けるワケにはいかないし、負けを認める事などもっと出来ない。

僕は今年始まったばかりだけど、今年一番の優しさを、その子に使っていいとまで願ったよ。

そして、その子は、何度か母親に注意されながら慎重にそして見事に駐車したんだ。

その子が、ミラーを畳み、ギアをパーキングに入れてエンジンを切ったんだ。

その瞬間、緊張から解かれたその子は深い深呼吸をしてから、一度深く頷き、少し潤んだ瞳でゆっくり斜め上を見つめたんだ。それが何を僕にもたらしたかわかるかい?女性の潤んだ瞳は、普段より美しく見える事を僕に教えてくれたんだ。

ねぇ。谷崎潤一郎。って僕はね、斜め上を見て文豪に話し掛けたよ。

時間にすれば一秒もない、その仕草とその表情は、今年一番キレイな子をもう見つけてしまったと思ったよ。

同じ事を思ったのかライバルのおじさん達とも僕は目を合わせ、皆一様にその子のこれからの幸せを願って去っていったんだ。僕が文庫本をさりげなくポケットに戻した時、もちろんキャップとサングラスはすでに外していて彼らも普通のおじさんに戻っていたよ。

この話しで僕が思ったのは、この瞬間はもう2度と見れないんじゃないかってことなんだ。だってその子は、この世界でいう時間の経過と共に運転の技術は向上してしまって、もう外部に伝わる程の緊張や、緊張からの緩和の美しさは絶対に出せないだろ。

僕は、一歩の美しさを知れたんだ。

そう思うと、僕が今年始めて君と遊ぶ30分後の世界は、僕にとって最大限の美しさが表れる時かも知れない。だから僕は30分後、斜め上を見てみる事にするよ。

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本来僕は、妄想の世界に生きている。最近忘れて真面目ぶってカッコつけていたが、少し自分を取り戻してきた気がする。

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