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「憧れの人」になった自分は、年末の空気を囲いながら噂で呑みはじめる。

「レモンはね。皮を下にして搾るのよ。そうすると香りの成分が一緒に落ちていくの」

香りと一緒に連れ立って滴るレモンの雫を見ながら、見えないものも包み込むという考え方に私の下心も包める日がいつか訪れるのだろうかと感じながら、私はこの一年を振り返っていた。

この日、我が文学への道標を説いてくれる女性と、どういうワケだか私に憧憬を抱くという女性と食事をすることにした。

私は、去年まで身を置いていたInstagramというSNSを人気絶頂のさなかに引退してはや一年になる。今年自分が向き合ったことを直接伝えたい人達を集めて会を催したのだ。

そろそろ、誰か私を褒めてくれ。人が褒められるのにもう耐えられないと。

今日は私の話で6時間だと気合いを入れていた。

14時に集合した私達は、ビールで乾杯した。一年ぶりに会う人達とお酒を楽しむ空間で呑むビールは、口にした途端に世界が変わる。一瞬で舞台を用意してくれて主役だと肯定してくれる。「うまい」と発する私は、まだ何も話していないのにすでに軀は楽しいと感じている。

酔いが進む前にと、私に今年一年で起きたことを話した。6時間のショーなので各パートの主旨の説明をざっくりと話した。

ざっくりと話したのだが、すでに2人は私のざっくりに満足しているかのような気配だった。

舞台の主役が変化するのは、その主役が気付かないうちに一瞬でやってくる。

「あなたすごいわ。ところで」

アナタスゴイワ。7文字で評価された私は、ツッコミも出来ずに話の続きを待った。

「あなたがInstagramを辞めたあと、何人かが後を追うようにいなくなったわ。とても残念よ」

私がやめたのだから、それは何人かではなく、何百人かの間違いではなかろうかと考えていたのだが、そこの数字の訂正はなかった。

「世の中の大抵の問題は、残された側にあるのよ」

急に文学スイッチが入る我が文学友達に、谷崎潤一郎や三島由紀夫について、聞きたいことがあったなと頭の中でチラついたのだが、私にとってもこの展開は一年ぶりに萌えられる展開だった。

「ほう。去った側から言わせてもらうなら、残された者の話も聞く意味が存在すると思う。一体何があったんだい」

文学友達は、ビールを美味しそうに呑む。ビールは冷えていて会話の熱に寄り添ってくれていた。私に憧憬を抱く女性も私達の舞台にすっかり見惚れている。

「あなたと付き合っていたと言う人がいるわ。それが事実ならそれも面白いと私は思うけど」

私は一瞬誰の話しかと考えたが、その言葉はどうやら私に向けて発っしているということを理解した。私は考えを巡らせた。私が付き合っていたという女性。私は今年一体何をしていたのかを冷静に思い出していた。

私は今年、尊敬する女性と貴重な話をする機会に恵まれたのが数回。その他は、妻以外の女性と話していない。そう、私こそミスター鉄壁。嘘つきました。友人に誘われるがままに断れずに会いに行った夜の蝶達が少々。

今年の確定申告になります。

悔しい。私のいないところで私と付き合っていた人がいるなんて。そんな噂のどこに価値があるのだ。私には一円の価値もないし、ちょっと触るみたいなご褒美も火遊びもない。

「オーケーだ。その真偽を確かめるために私に聞くのは正しい。だが、ハッキリさせる必要がある。まず、第一にそれは『付き合っている』ではなく、『付き合っていた』の過去形なんだね」

頷く2人の女性を見ながら、私は頭を抱えた。

なんと頭の良い犯人なんだ‼️

過去形である以上、手出しが出来ない。人間の過去は美化される。とてもやっかいだ。ここでノコノコ出ていって「それは事実と違う。真実は一つ」などと言ってもお寒い。何より精神的ダメージが大きい。私は、付き合ったこともない人とすでに別れているのだ。

「ところで、君はこの噂を聞いて一体私をどう思っていたんだい」

私は私に憧憬を抱く女性に慰めてもらおうと聞いた。

「いや、なんかそんなのあんのかなって。嫉妬がすごかったって噂ですよ」

えっ‼️マジで私っぽいやん‼️その理由‼️

尤もすぎて怖くなるわ。と、つい最近も嫉妬が生業って書いていたのを思い出していた。

つくづく頭の良い犯人だ‼️

私に憧憬を抱く女性は、今年見た女性の中で一番可愛く、そして悪どい笑顔をしていた。私は自分のことを整理しようとしたが、残されている者達の世界に再び関われない。何より面倒だ。そんな時間があるのなら本物の女性とやり取りしたい。癒されたい。少しだけ触りたい。そんなことを真っ正面から彼女達に語ったのだったが、これこそ後の祭りだ。

「まぁ、私はスッキリしたわ。やっぱり世の中怖いわねぇ」

一人スッキリした文学友達は、ビールをジョッキから瓶に変えていた。瓶が冷えているのが伝わる。わだかまりがほどけたあとの喉ごしは、そりゃ爽快だろう。

「次、もし噂聞いたらなんて言えばいいですかね」

私に憧憬を抱く女性に、これしかないセリフを捧げてあげた。

「私がパパとして契約してますって言えばいい」

「えっ。嫌です」

そこの嫌悪感は、しっかり隠して包めよと思いつつ、今日教わったばかりのレモンの皮を下にして私は絞った。

顔を合わせて呑む楽しさに、時間の経過と一年の終わりを感じ始めた冬。

なんのはなしですか

四十過ぎ 噂にされて 今思ふ
色恋沙汰に 定年なしよ

お後がよろしいようで。









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