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東照宮でも中禅寺湖でもない!?「じゃない」探訪~日光編~


はじめに

東照宮、中禅寺湖、戦場ヶ原、湯葉…
こんな単語を見ると、結構な数の方がピンとくるはず。
遠足や修学旅行、紅葉狩りに行ったときによく耳にしたあの場所たち。
そう、今回のテーマは栃木県の日光市。
前回に引き続き「じゃない」シリーズ、今回も観光バスの御一行様が訪れるようなスポットはほぼ取り上げません。
決して読了まで長くはありませんが、この記事を読み終えたころにはきっと、「知らなかった!」があなたを次の日光旅行へと誘うことでしょう。


【激渋】 日光市の玄関口「今市」

栃木県の県庁所在地、宇都宮市から電車で約30分。
世界遺産「日光の社寺」がある日光市、海外からの観光客も戻りつつあるし、駅もさぞかし立派なんだろうな~!!

えっ何この改札…
これは入出場時に交通系ICカードをタッチする、いわゆる簡易改札。
乗降の少ない駅にあるやつです。
いやいや世界遺産のある街日光ですよ。国内外から人が山というほど来るんだからこれは何かの間違い、駅を出ればそこにはほら、
観光客向けのアレやコレが…

無い!!インバウンド対応の観光案内所とか木刀が出てるお土産屋とかはどこ??
タクシーは数台いますが、〇〇観光ホテル行きの送迎バスやらクソデカ看板やらは全く見当たりません。病院の看板って完全に周辺住民向けですよね。
いやまあ、シンプルイズベストって言うしね?これくらいあっさりしていたほうがいいんですよ。それにほら、よく見ると右側に観光案内板っぽいのがあるじゃないですか。もうこれでバッチリ観光できますよ!

黒い板になんだか地図が。これはなに?

現在地と中禅寺湖は何となくわかりますが、一番目につくであろう日光中心部が残念な感じになっています。世界の日光にある街の駅前とは思えない風景ですね。

実は今、私たちがいるのはJR日光線の今市駅前。日光駅の一駅手前です。
電車で東京から日光に行こうとすると、まず選択肢に上がるのは特急スペーシアが走る東武鉄道でしょう。JRから直通運転もしており、都心から2時間弱で東武日光駅に到着します。また、東武鉄道の下今市駅もあり、こちらも特急停車駅です。
一方、JR今市駅に停車するのは在来線の日光線(ほぼ1時間に1本)のみ。特急は当然走っておらず、世界遺産の社寺の最寄り駅は隣の日光駅のため、普通の観光客は今市駅には来ません。日光線に乗っていたとしても車内で寝てます。
そんな今市駅のある日光市今市エリアですが、鉄道ではなく歴史的に見てみると、江戸と日光(日光街道)、高崎と日光(例幣使街道)、そして今市と会津(会津西街道)3街道が交わる重要な街です。電車(とくにJR)の駅という面では目立ちませんが、道に着目すると昔から重要な役割を果たしていたわけです。時代は経て人々の関心は観光に移り今の観光地としての日光の賑わいがあります。

なぜここに?今市の街にそびえる謎の観覧車

駅を出て、少し今市の街を見てみましょう。

なんということでしょう、シンプルな駅前にデカい観覧車があるではありませんか。
よく見ると、この観覧車は建物の上に設置されているようです。
札幌のすすきの、大阪の梅田駅、愛媛の松山市駅、鹿児島の鹿児島中央駅…
いわゆる都会のイメージであるビル上の観覧車がまさかここにあるとは。

屋上観覧車

その名も「NIKKOランドマーク」。ランドマークを名乗るとは、神奈川県の某タワーを意識していそうですね。
メインのテナントは栃木県に本社を置くスーパーマーケット「かましん」と、衣料品を中心に様々なものが安く買える「ファッションサンキ」。
そのほかにもゲームセンターやフィットネスクラブなどいくつかのテナントが入り、ここに来れば用事が済む気がする施設です。
ただ、なんといってもこの商業施設をランドマークたらしめているのは屋上に乗っかっている観覧車でしょう。看板にも書いてあるし。何ならシンボルマークも観覧車モチーフ。

こちらの観覧車は大人500円、5~6分で1周しながら景色を楽しめます。そして1台だけ、スケスケのやつがあります。これは乗るしかない。

足元が透けている観覧車、なかなか貴重な体験です。下から見るとそんなに高くないように感じますが、実際に乗ってみるとスケスケなのもあって結構高いです。窓からは今市の街並み、そして遠くに日光連山が楽しめます。視界を遮るものがないので近くの街並みから遠くの山々までよく見えますね。


この観覧車、実は今年4月で設立3周年とまだまだ若いです。聞くところによると3年前に日光ランドマークが開業した当初からあり、社長が「屋上遊園地は他にもあるから、うちは観覧車にしよう」というステキな提案でできたとのこと。屋上観覧車の下には地中海風に仕立てられたお庭や周りを見渡せる展望台があり、「日光の鐘」なる洋風のベルもあります。日光という土地からは想像できないヨーロッパ風の音色が日光連山を背景に鳴り響きます。

ハートもライトアップ

観覧車は夜間、毎日ライトアップされ、しっかりランドマークとしての役割を果たしています。1点、神奈川県の某タワーと決定的に違うのは、周りが少々、もとい明らかにひっそりとしていること。まあ住宅街ですからね。

静かな今市の夜に煌々と輝く観覧車

寺社仏閣とは全く違った意味で、日常に溶け込む現代のシンボルが今市にはありました。

【隠れ里公開】 壇ノ浦から遠く離れた平家の集落「湯西川」

「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 娑羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす 奢れる人も久しからず ただ春の夜の夢の如し…」
こちらは皆さんご存じ、平家物語の書き出しです。今から800年以上前、源平合戦の末、赤間神宮(入水した平家方の安徳天皇が祀られ、耳なし芳一の像もある)が鎮座する現在の山口県下関市の壇ノ浦であった戦いで平家が滅亡しました。その後、源頼朝が鎌倉幕府を樹立したのは有名です。
ただ、物語に登場する人々はあくまで一族の一派(+これに従った人々)で、それ以外の人々が滅亡したわけではありません。また、西日本を中心に日本各地へ平家の人々が落ち延びたとされ、「平家の落人」伝説が残ります。筆者の遠い祖先も平家の落人で、現在の熊本県まで逃げてきて農民になったと伝わっています。同じような言い伝えを聞いたことのある方も多いのではないでしょうか。
ここ日光市にも、そんな伝説を残す東日本では数少ない平家の隠れ里「湯西川」があります。合戦から800年、一説には源氏である徳川家のお膝元にほど近い平家の集落はどうなっているのでしょうか。

会津西街道から山を分け入る

湯西川は三街道の集まる今市からクルマでおよそ1時間。国道121号線(会津西街道)を北上し、鬼怒川温泉・川治温泉を超えたさらに先にあります。

景色が寒々しいです

途中で県道に入り、長いトンネルをいくつも超えたその先に…

街の中心部がこちら。今でこそ簡単に訪問できますが、クルマもトンネルもない時代は険しい山を越えた先にある、本当の隠れ里だったのでしょう。取材日は3月下旬でしたが、平地の感覚だと信じられないような降雪でした。でも、これもまた風情がありますね。
まずは湯西川の歴史を知ることができる施設として、「平家の里」へ。

敷地内には昔ながらの家屋や資料館、赤間神宮の分社などがあり、平家の歴史を詳しく知ることができます。

「全国平家落人伝説伝承地」と銘打ったパネルには、全国の落人伝説がある土地が掲載されています。やはり西日本に多く伝承が残りますが、関東や東北にも落ち延びたとされていることがわかります。

このパネル、よく見ると右下に「全国平家会」とあります。全国に分布している平家にゆかりのある人や団体で構成される組織で、ここ湯西川にも支部があるとのこと。さらに湯西川で源平双方の子孫が和睦したという、1994年の決議書と写真もありました。

800年も経てば、もはや源平の争いは自分事ではなく歴史上の出来事になります。さらに源平双方を祖先に持つ人も多いはず。そもそも大元は同じですし、観光資源として平家がこれほど活用されているのですから、対になる源氏との和睦はキャッチーですし、より平家が引き立ちますね。源氏は源氏で、鎌倉という一大観光地で活用されまくって今に至っているのを考えると、お互い様という感じでしょうか。

隠れ里は観光名所へ

よく考えてみればここは隠れ里。「鯉のぼりをあげない」「鶏を飼わない」など、源氏の追手に見つからないよう人々が暮らしてきた場所なわけですが、現在はというと…

絶対隠す気ないですよね。
集落には揚羽蝶の家紋の提灯があったり、平家をウリにした旅館があったりと、もはや平家が看板の一部。めちゃくちゃPR。

いたるところに揚羽蝶が
平家元祖だそうです

合戦から800年たった現在、平家の隠れ里はクルマで気軽に訪問できる一大観光スポットになっていました。

【外国】 日光で洋を感じる

日光を観光した後は、湯葉を楽しむ、たまり漬けとせんべいをお土産に買って帰る…ガイドブックに載っている日光の観光といえばこんな感じです。行程に平家の隠れ里があったり、今市で観覧車に乗ったりする人もいるかもしれませんが、土台にあるのは日本を代表する、和を感じるスポット巡りではないでしょうか。
実は日光、和だけでなく洋の側面も持ち合わせた町なんです。2回目、3回目の日光訪問では、洋の日光を体感してみてはいかがでしょうか。

見た目は洋館、中身はレストラン

超人気スポットの日光東照宮、輪王寺。多くの人がその横をスルーして行きますが、確かにそこにたたずむのが「西洋料理 明治の館」。日本における蓄音機の父と呼ばれるF.W.ホーン氏が明治時代に別荘として使用し、昭和52年にレストランとして営業を開始。平成18年には登録有形文化財に指定されました。

外観

日ごろ私たちが見聞きする日光といえば、徳川家康に鳴き龍、木刀の売っているお土産屋…和ですね。でも、少しだけ視線を横にずらすと、いわゆる日光とはかけ離れた洋の光景がそこにはありました。
取材班が注文したのはオムレツライス、エビマカロニグラタン、八汐鱒のムニエルハーブソース。オムレツはふわふわした卵にソースが絶妙に絡み、大ぶりのエビが入っています。グラタンはこれまた大ぶりのエビがこれでもかと入っていて、サクサクしたパン粉が食指を止めさせません。八汐鱒はニジマスを品種改良した栃木県の名産魚で、淡泊でやわらかい身にパセリが添えられ臭みもありません。どれもシンプルなメニューながら、それぞれにこだわりを感じられ大満足でした。

オムレツライス
エビマカロニグラタン
八汐鱒のムニエルハーブソース

瀟洒(しょうしゃ)な内装に本格的な洋食メニューを楽しめるだけあって、行列必至の明治の館。取材班が訪れた日も、20組以上の待ちで人気を実感しました。明治の館は東照宮のすぐ近くなので、先に番号札を取って待ち時間に東照宮を参拝すると良いかもしれません。明治の館には駐車場があり、食事など明治の館を利用するとサービス券をもらえます。

東照宮

日光にはこれ以外にも中禅寺湖沿いのイギリス、イタリア大使館別荘(取材時はともに冬季休業中)のように、実は洋を感じられるスポットが複数あります。また最近は最高級外資ホテルの一つ、リッツカールトンが中禅寺湖畔に開業しています。実は西洋の風を感じながら、贅沢な体験ができることはあまり知られていないのではないでしょうか。


【穴場】 日光の渓谷「憾満ヶ淵」

日光で迫力のある渓谷を見たい人は、ほぼ間違いなく華厳の滝へ行きますよね。中禅寺湖の水が高さ97メートルから落下する様は圧巻です。
この中禅寺湖から日光に注ぐ「大谷(だいや)川」。鬼怒川に合流し、最終的には利根川へ注ぎ太平洋へつながります。この川のほとりに、実は大変見ごたえのある渓谷があります。

それが「憾満ヶ淵」。カンマンと読みます。大谷川沿いに道があり、瀬音(せおと)をBGMに渓谷美を上から楽しめます。

また、この道は慈雲寺というお寺の参道で、「並び地蔵」と呼ばれる、お地蔵様が一列に鎮座する風情あるスポットもあります。

取材時は外国人観光客の姿も多く、というかほぼ外国人しかおらず、日本なのに日本ではないような感覚でした。お地蔵様が整然と並ぶお姿がSNSや海外のガイドブックで取り上げられたのでしょうか。いずれにせよ、日本人の皆さんもぜひ行きましょう。

お地蔵様をよく見ると、ある箇所から先は台座しか残っていません。

実は憾満ヶ淵が現在の様相を呈するようになったのはつい最近。横を流れる大谷川は昔から氾濫が多く、1902年の洪水で憾満ヶ淵一体も浸水してしまったらしいのです。渓谷を覗いてみるといびつな形に滑らかになった岩石が観察でき、川の流れがいかに強力であるか窺い知ることができます。

急流を思わせる岩々


お地蔵様と、対岸に鎮座していた大仏様までもが流され、現在私たちが感じられる独特の雰囲気が作り出されました。自然には勝てないとよく言いますが、このように人工と自然が絡み合った結果、思いもよらない結果になることもあります。

国内外から多くの人が訪れる華厳の滝や輪王寺からそう遠くない場所に、自然の威力をこれでもかと感じさせるスポットがあります。
ちなみに大谷川、この後のパートにも登場しますので、ぜひ最後までお読みいただけると幸いです。

【別世界】 日光なのにほぼ群馬の街足尾

日光を存分に堪能した取材班。帰りは中禅寺湖や東照宮近くの温泉にでも寄って疲れを癒すとはならないのが「じゃない」シリーズ。
実はまだ触れなければならない場所があります。
その場所を目指して一路、日光市街から国道122号線で南西へ。
国道122号線は通称「ワンツーツー」。沿線住民には大変馴染みのある道路です。日光から埼玉、東京までを貫く大動脈です。東京の方には明治通りと書いたほうがわかりやすいでしょうか。
ワンツーツーをしばらく南西へ進み「日足トンネル」を抜けると、銅山で有名な足尾地区に到達します。

先ほどまで雪が降っていた日光市街でしたが、トンネルを抜けるとすっかり青空と午後の日差しが降り注ぎ、まるで別世界のようでした。

雲一つない晴天


足尾地区は群馬県桐生市までつながる「わたらせ渓谷鉄道」の起点で、すべての電車は群馬県へ向かいます。もしかしてほぼ群馬ですね?

クルマを使わなければ、間違いなく群馬のほうが近い足尾。さて、この「クルマを使わなければ」という点に注目です。

実はかつて、日光と群馬が公共交通でつながっていた歴史があります

2022年に栃木県の宇都宮大学が発表した1件のニュースリリース。それは、日光市街から足尾まで、「馬車鉄道」が存在し両地域をつないだというものでした。

先述のとおり、桐生から足尾までは鉄道がありますが、その先は現在鉄道はありません。しかし、かつては馬車鉄道が人々、そして物資の移動を支えていたというのです。
鉄道インフラなんてものがあったなら、今でも遺構が残っているのでは?と感じますが、同記事では学生の皆さんが現地を調査した様子も紹介されており、廃止から半世紀以上も特段の保護がなされないまま時間が経過していること、そして先ほどご紹介した大谷川の氾濫により遺構が流されてしまったと考えられることがつづられています。

取材班も大谷川、足尾と現地を訪れましたが、馬車鉄道の痕跡は確認できませんでした。
現地を訪れても痕跡がない、しかし資料からは確かにこの場所に存在したことがわかっている…どことなくロマンを感じるのは筆者だけでしょうか。

足尾は現在、かつての銅山を観光スポットとしてPRしており、坑道に入れるのはもちろん銅山街としての遺構を数多く遺しています。

大迫力の坑内観光
とてつもない長さです
鉱山住宅


かつての繁栄に思いを馳せながら、そして馬車鉄道がつないだルートを、現在は自動車交通がつないでいるという事実をかみしめながら、日光からの帰路につくのもオツなものですね。そして辿り着く先は群馬県なので困惑します。そこまでがセットです。あれ、宇都宮から来たはずでは?

あなたの知らない日光がそこに

修学旅行で、あるいは個人的に、日光の有名なスポットを巡った経験がある方は多いはず。その時に訪れたのは、有名な社寺や湖ではなかったでしょうか?
この記事を読み終えた皆さんが次に日光を訪れる際には、いわゆる「日光っぽい」スポットに引っ張られることなく隠れた名所にも目を向けたり探したりして巡っていただきたいですし、本記事がその一助になることができればと思いながら執筆してみました。
「知らなかった」「新しい見方ができた」「ナwwニwwコwwレww」
受け取り方はなんでも結構です。個人的には隠れ里をめちゃくちゃ全面に出した湯西川が激アツでした。
いずれにせよ、日光について違った感じ方をしていただければ幸いです。


(文:プニル 取材:ほきあ、プニル)

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