転院
鬱とカウンセラーから宣告され、心療内科の受診を勧められて、クリニックに訪れた。
このクリニックに訪れたのはこれが3回目だ。
1度目は、大学時代のカウンセラーに受診を勧められた時。
2度目は、会社員生活で、対人恐怖症のような状態になってしまったときに、どうにかしたくて受診している。
その時は、
日常生活に困ってるわけじゃないんでしょ?仕事に差し障りがあるわけではないんでしょ?
と言われて、取り合ってもらえなかった印象だ。抗不安薬の処方があったくらいだと思う。
辛さをわかってもらえなかった、自分でも本当に苦しいし困ってることを伝えられず、なにか門前払いされた感があり、大学時代と同様、このクリニックに継続して通院することはなかった。
そして、3回目がこの時だ。
医師には、カウンセラーからそう告げられたことを伝え、軽く会社を辞めてからの経緯などを話ししたと思う。
しかし、なんだか暖簾に腕押しというか、わかってもらえてる感がない。
しっかりとした診断や、病名がついたわけでもなく、このときは、抑うつ状態ということで、抗うつ薬やら抗不安薬やらの処方をされ、自宅での療養生活、引きこもりのような生活を送る。
この間、母親からの申し出で、母と子の交換日記的なことをした記憶がある。
しかし、はじめこそ病気の辛さを変わってあげたい…などと同情してくれた母も、次第に早く社会復帰してほしいような本音や期待がちらつきはじめ、心からの理解や支え、援助のようなものがあったとは思えなかった。
今となると、母親に、父親に、両親にわかって欲しい、理解してほしい、という期待や理想があったと思う。
しかしながら、世代時代背景も異なり、親子とはいえ違った人間同士、分かり合えない、期待してもうまくはいかない、理想を持ってもそうはいかない…
それは、あり得るんじゃないかと今は思う。
でも、私は期待していた。理想を持っていた。願っていた。
少し症状が落ち着き、動けるようになると、私はアルバイトをすることにした。
でも社会に出て、自信をなくした私は、対人接触がある仕事や、複雑な仕事はできないと思い、当時の自分でもできそうなこと、単純で体を動かすような仕事かつ、短時間の労働ということで、商業施設の営業時間後の清掃のアルバイトを始めることにした。
これは、リハビリ的な意味合いもあったのだけれど、割合と良かった気がする。
周りは高齢の一線を退いたようなおじさん、お爺さんとおばさん達ばかりで、同世代や若い世代がいないので、レールを外れたこと自分と、レールの上を走ってる同世代とを比べたりして落ち込むこともなかった。
しかし、クリニックへの通院、特に医師との面談診察に対しての不信感や不満感は消えず残っていた。
なんだか、こっちから必死で訴えたりカウンセラーから言われたことを伝えると、渋々というか、処方しているような感じがしたり、症状や辛さを知ろう、把握しようという意思や覇気のようなものが感じられない、むしろ症状や苦しみを矮小化して解釈しようとするような気が、それまでの通院や診察で感じられた。
それに、何かで診察の中で、
私は自分のことを話すのが苦手なんですれど…
みたいなことを私が言ったら、
そこは即断即答で、
そうですね。
みたいなことを言われ、すごく嫌な気持ちになった、そんなこと言うかよ、しかも普段はぼんやり聞いてるくせに…みたいに思った。
しかし、それでも通院を続けていたのは、大学時代からのカウンセラーからの紹介で通院をはじめたところである、という点も大きく、それを自分の都合というか明確な理由や不都合もなく変えるということが出来なかったというのがあった。
しかし、あるとき、やはりこの医師は嫌だ、ほかの医師に変えてみたい、他の病院に変えてみたいと思い、自分にしては勇気を出して、カウンセラーにその旨伝えると、あっけないほど、それは構わない、問題ないと思うと言われて、私はネットで別のクリニック、病院を探し、新しい病院で初診の受診をすることになる。
つづく
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