働く。仕事。会社。父への反発と恨みと否定
過去のことを振り返ってみて、当時の気持ちや感じていたことを顧みて、最近だんだん思うようになったこと。
自分は、父親への反発があった、反発があると。
恨みや否定したい気持ちがあると。
父親は仕事熱心というか、会社と仕事に一筋だった。
今考えると、単身赴任時にリストラ係をしていた頃など、胃潰瘍になったりして、仕事が嫌だったことや会社が嫌になったこともあっただろうに、仕事と会社を生涯、母が死ぬ間際、余命宣告されたときと、自身が脳梗塞で倒れ半身不随と言語障害で社会復帰不可能になるまで、働きつめていた。
残業がいくらあっても嫌にならないようなことを言っていたのを聴いた記憶がある。
とにかく、仕事=父親というイメージがある。
働くこと=父親というイメージ。
だけど、父は、嫁姑の問題で家が不穏だった時も、兄が問題行動をしたときも、私が学校や家庭、その他で辛い思いをしているときも、とにかく仕事をしていた。
私は、仕事に逃げていたように思っている。
ズルいという気持ちがある。
今となっては、仕事をしてお金を稼いで家族を食わせる、そんな父親像以外知らなかった、想像も思い描くこともできなかった、そんな育ちと時代、世代だったのかもしれないと思う。
でも、とにかくそんな父親が嫌だった。
単身赴任中、時折帰ってくると、仕事の大変さ苦しさをアピールする父親の姿が嫌だった。
私は辛くても、アピールなどできなかった。
家族はもちろん、誰にも打ち明けることなんてできなかった。大人になって、カウンセリングを受けたり、親身に話を聞いてくれる友人ができるまで…。
家族や自分、子どものことは母親任せにして、何か起きても味方になってくれたり助けてくれたり守ってくれない、そんな父親が大っ嫌いだった。
お金を稼ぐ以外ほったらかしだったらそれでいいけど、ほったらかしてるくせに、人を小馬鹿にしたり見下したり揶揄ったり、一人前扱いせず親身に何かに付き合って教えてくれるわけでもない、そんな父親が本当に嫌だった。
子どもも個性や心、意思を持った1人の人間であると捉えず、常識の世間の社会の尺度に合っているかどうかだけで測るようなところが大嫌いだった。
だけども、そんな父に私は表立って反発や反論したり、苛立ちや不満や恨みつらみを伝えたことはなかった。
思春期には父はいなかった。
その後自分も社会に出てからは、一年で会社を辞めてしまったり、長続きせず経済的に自立もできず、親元実家にいて、養ってもらってる状態だったので、立場的にそんなこと言えないと思っていた。
不満反発はありつつも、そんなこと表現できる立場にない、そんな資格がないと思っていた。
しかし、
父への恨み憎しみ否定といった感情は、父が半身不随となって、言語障害もあり、そんな父と接している時、立場というか面倒見る人と見られる人が逆転したような時、自分の中からこぼれ落ちた瞬間があった。
父が何かを伝えようとして、言葉にならない言葉やジェスチャーを見せる。
それは、全く言語として受け取ることのできないもので、何を求めてるか伝えてるのかわからなかった。
でも必死に何かを訴えている、というか、なにかを否定、そうじゃないといっているのはわかった。
そんなやりとりが続いた時、こちらも我慢の限界がきて、
何言ってんのか全然わかんないよ!
とイライラして大声を上げた時があった。
ハッとした。
ちょっとしたことで、今までの恨みや否定や反発から、立場も変わり復讐しているような気がした。
父は脳梗塞を発症してから、
リハビリ病院→
老健→
病院の順で転々とし、最後は病院で亡くなった。
なので同居もしていないし、私が用事があったり私から会いに行かなければ顔を合わす機会はなく済んだ。
これが、同居せざるを得ない状況だったりで、始終一緒にいたら、もしかして、虐待などをしてしまったり悲惨なことになっていたかもしれないと思う。
父への反発が、いつの間にか、仕事そのものや、働くことへの嫌気や反発となっているように思う。
生涯、ただの一度母の死の間際以外はとにかく仕事、会社、働くことを優先させていた、どこかそこへ逃げ込んでいるような節もあった、それで尚且つ愚痴や不満を持っていた父。そんな父を否定している、その生き方働き方を否定し反発し続けている自分がいまだいるように思う。
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