見出し画像

ポートレートは共作である。

こんにちは!
今回は撮影に対する
ちょっとした考え方について
書いてみようと思います!!

撮影をする際に
モデル側とカメラマン側で
どっちがより作品への影響力を持つか?

といったことが
話題として上がる事があります。

金銭が関係する、仕事の上では
対価を支払う側が、立場上優位に
なる場合が多い事は明白であり
シンプルに分かりやすい例です。

しかし、実際には
作品の著作権を持つ
カメラマン側など、撮影をする側が
作品に対する責任を持つ、という意味で

カメラマン側の制作意図や作品への
編集を含めた、創作影響力がそのまま
立場が強い、と認識される場合が
多いような気がします。

作品に対して感性を発揮して
創作する作者としてのカメラマンは
確かに、作品への影響は大きいと思います。

しかし、人物撮影も含めた
対象も作品の一部である
という事実を踏まえると

被写体と撮影者は
作品を生み出す為の
ある種の「運命共同体」のような
関係性であると私は考えています。

お互いのコンディションや
技量、表現の方向性や
作品に対する熱量、経験など

持てるスキルや
作品に対する姿勢を
お互いに創作という環境で
発揮するからこそ

「より良い作品」が
生み出されるのではないか

そんな風に私は考えて
ポートレート写真を
撮影しています。

つまり、撮影者と被写体は
一緒に取り組みながら双方で
いい写真を撮影するために

共作をしている
とも言い換えることが出来ます

そのため撮影では、出来るだけ
お互いが表現者である
といった姿勢で撮影に挑むのです。

このことは、一緒に撮影を行う
被写体さんにも、お伝えできる際には
伝えています。

そうすることで、お互いが
より表現をしやすくする
環境を設定したいからです。

撮影における”共作の場”では
一方の立場を大きくしてしまうと

力関係がいびつに偏ってしまう状況が
生まれてしまう事があります。

そうすると
お互いの価値観生み出される
クリエイティブな要素が
合わさって発揮される相乗効果が
効果的に出づらくなり、その結果

「より良い作品作り」に
届きにくくなってしまうと
私は考えるからです。

カメラマンとして
これがいいと感じる価値観=エゴを

突き通しすぎても
一方的な価値観の押し付けに
なってしまいます。

それでは撮られる側の
クリエイティビティを制限し
作品の質を高める可能性を
下げることにつながるだけではなく

撮られる側の満足に
つながらないなと感じたのです。

では、カメラマンの一方的な
独りよがりの撮影ではなく

被写体さんも
満足できるような写真とは
一体なんだろうか?

こうした問いかけを
自分自身に対して行いながら

数多くの撮影を通して考え
試行錯誤を繰り返していきました。


そうしていくうちに
やがて自分自身の中で

作品を作っているのは
なにも、カメラマンだけではなく
「撮られる人も共作者なのだ」
という考えに至ったのです。

私の中でこの発想が
撮影時の大事な価値観となりました。

つまり、撮影をするのはこちらでも
相手を表現者として、リスペクトすることで
より良い表現を目指す

それが、今では定着した
私の撮影スタンスです

相手のアイデアや助言も聞きながら
より良い、方法を検討していく
そんな柔軟な撮影方法で
色んなアイデアを駆使して撮影を
行っていく事で

他にはないような独自の撮影が
出来るようになっていったと
自負しています。

ぜひ、皆さんも
撮影する側も、被写体さんも
お互いに気持ちのいい

「共作としてのポートレート」を目指して
お互いにリスペクトの精神を持ちながら

より良い作品作りに
取り組んでみてはいかがでしょうか

さて今回は
ポートレートは共作である
というテーマで、書いてみました。
感想やコメントなどがありましたら
些細なことでも構いませんので
気軽に書き込んでみてくださいね

それでは、また
お会いしましょう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?