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男らしさ、女らしさという見方は必要か?


自分自身の内面に
「男らしさ」や「女らしさ」は
どう存在するのか?

という問いかけに対しては

特徴を把握する際には
ジェンダー的なパターンに沿って
自己内省してみると

ある部分では
自己理解の手助け
となる場合もあります

例えば、自分の物事の捉え方が

男性らしい視点で考えていたり

女性的な視点に立って
「こう自分が感じていたいな」

と思える感性が
豊かな側面があったり

自己理解の中に
男性像、女性像という傾向に
近しい要素を見出すことは

それ自体は
悪いことではないと思うのです

しかし、その男性的、女性的という
ラベルや枠組みで縛り

さらに自己や他者を
そのカテゴリーに
はめ込もうとする行為は、

適切ではないと考えます

男性であろうと
女性であろうと

人としての数ある側面の中の
部分的な要素の一つ
でしかないと考えて

その要素が
どちら側が多く表出されているか

どっち側に寄ったら
より、自分らしくいられると感じるのか

そういった、
自分の精神の「最適位置」を
分かりやすくする為の
参考情報に有効活用していければ
いいと考えます

枠組みを無理に押し付けて
それを他者にレッテルとして
張り付けている様な行為は

差別や偏見を生み出します。
そうした特徴をみて、
人を裁く思想はいつでも
軋轢と分断を生み出してきた

その道筋ではなく、
違いを探求して
より適切な位置を見つける事。

その作業や過程を他者にも許容して

世界がもう少し、
おおらかでいられる環境になれば
この男性らしさ
女性らしさという考え方も

有用に活かしていくことが出来ると
私は考えるのです

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