BOOK REVIEW vol.067 むらさきのスカートの女
今回のブックレビューは、今村夏子さんの『むらさきのスカートの女』(朝日新聞出版)です!
本屋さんで『むらさきのスカートの女』の表紙に目が留まったとき、数年前まで働いていた職場の同僚の顔が浮かんだ。「森さんもこの本好きかもな〜って思ってん。もしよければ今度貸すね〜!」と言ってくれていたのに、結局、私が退職することになり、その約束は宙に浮いたまま果たされることはなかった。
芥川賞受賞作。偶然にも、つい先日も芥川賞受賞作の『おいしいごはんが食べられますように』を読んだところだった。『おいしいごはんが食べられますように』は、帯に書かれた言葉の通り“心がざわつき”、人間の心の複雑さや不気味さについて考えさせられる小説だった。今回の『むらさきのスカートの女』も、人間の心、心理的な“何か”は描かれているのだけど、、実を言うと、最後の一行を読み終えた直後は、感想をうまく言語化する自信がなかった。物語の設定が複雑なわけでも、登場人物が多すぎるわけでもない。とてもシンプルな話のようにも思えるのに、感想を言語化しようとすると、なぜかうまくまとまらない。
メインの登場人物は二人。表題にもなっている“むらさきのスカートの女”と、もう一人、“わたし”という人物。物語は終始、この“わたし”という人物の視点・思考で語られているにもかかわらず、この“わたし”が誰なのかは終盤まで一切明かされてない。それも物語に漂う“不可思議さ”の理由なのだと思う。「この人は一体、何者?」という疑問を常に頭の片隅に置いて読み進めるけれど、その空気のような存在感に、途中から「本当に実在しているの?」、「実は幽霊だったりして?」といった疑いを持ってしまうほどだった。
私が感想を言語化できなかった一番の理由。それは、この帯の言葉を見たときにわかった。最後の一行を読み終えたあと、心に浮かんだ言葉はまさにこれだった。「“わたし”が望んでいたものって何だったんだろう」・・・その部分にモヤがかかり、答えに見当をつけることができなかったから、言葉にならなかったのだと思う。
淡々と描かれている日常。確信めいたことは何一つ語られていない。私たち読者は、作者の想いや意図を想像するしかない。「真意」が明かされていないからこそ、さまざまな読み方を味わえる(推測を楽しめる)作品だと思った。私の元同僚は、この物語を読んで、一体どんな感想を持ったのだろう。そしてなぜ、私もこの小説が好きかもしれないと思ったのだろうか。とても興味があるので、また連絡をとる機会があればぜひ聞いてみようと思う。でも、その前にもう一度、新たな視点でこの物語を読み直してみよう。“わたし”が望んでいるものは何だったのか・・・もう少し彼女の心に近づいて、私なりに感じてみたい。