HSPなんて言葉昔はなかったからただの変わった子だった

HSPってここ数年でよく目にしますが、数十年前にはそんな言葉世の中に流通していなかったんです。

今は、HSPとか繊細さんとか書籍もたくさんあるし、WEBで自分の思いを書いている方もたくさんいて、そういった気質を持って生まれた方には良い世の中になっていってると思います。

私自身はどうかというと、昔の私を思い出しHSPのセルフチェックをすると満点がとれたので、ビンゴです。

でもHSPなんて言葉も知識も市民権もない時代に育ってきている私は、子どもの頃ただの変わった子でした。

親にはかんしゃく持ちだといつも言われていました。

記憶にあることでいうと、お布団の少しのヨレが気になって寝つけなかったり、サイレンがなると気になったり、競争させられるのはきらいだし。。。

満点なんで、たくさんあります。

変わった子は母も育てにくかったようで、少しのことに感情的になる私は理解に苦しむ子どもでした。

その上、母は激しめの人間なので罵倒され、ののしられ、叩かれるスパルタ教育という偏った愛情を注いでくれていました。

ただの気難しい変わった子は、中々自尊感情は持てませんでした。

私が死んでも誰も悲しまないと本気で思っていました。

HSPの気質があるなんて知らないまま大人になって、子どもも生まれて、自尊感情を持つ持たないなんてことを考える暇がなくなってきました。

子どもの頃のわたしならちょっとパニックになるくらいでしょう。

一つだけそうならない功を奏したことがありました。

それは、論理的に考えることができるようになったことです。

新卒で就職したのがプログラマーだったのですが、そこでプログラミングに必要な理論を習い、感情抜きで考える方法がわかったのです。

コンピューターの世界は0か1です。

複雑な思考になればなるほど答えを出すまでに何度も何度も0と1の選択をしてようやく答えにたどり着きます。

その理論を知るまでは、トリガーから発出まで間がありませんでしたが、知ってからは、俯瞰的に冷静に物事を見ることができました。

ただ、自尊感情とか自己肯定感がそれで培われる訳でなく、これまでの考え方のクセの修正に大きく役立ったということです。

実際に自尊感情や自己肯定感が備わっていったのはもう少し後のことでした。

何がきっかけで自分が変わるかはわかりませんが、変わるきっかけは必ずあります。

そのきっかけは自分で求めて与えられるものでなかったりもします。

だから、これからも変われるチャンスを大切にしていきたいです。



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