最近の記事

観光客を観光する

渋谷のスクランブル交差点。 スターバックスの2階は観光客がいっぱいで、交差点を見下ろしている。 そんな観光客の写真を撮った。 渋谷はいつまで観光スポットであるかしら。 40年後に見返そうと思って。

    • 旅の夢から醒める

      旅から帰って一ヶ月、机の上に並べていた旅先の博物館や町のパンフレットを捨てた。 どれも上等な紙に綺麗に印刷されていて、持ち帰った時は旅の記憶とともに永遠に留めておこうと思っていたのに。 旅の熱狂とときめきは一時的なもので、やがて忘れてしまう。 それでも以前の旅でなにか煌めきを見た記憶だけがあって、また旅に出る。 旅の恥はかき捨て、なんて言葉を聞いたことがあるけれど、この気ままさと、責任を手放して自由に体験を得られる気軽さは、なんだかお菓子のよう。 こんな旅人の姿を想像するか

      • 雨どいをひっぱったり、石塀をいじったり

        京都に来る外国人観光客が民家の雨どいを引っ張ったりするらしい。 材質や強度を知りたいという好奇心らしい。 わからぬでもなし。 わたしもイギリスの湖水地方で石塀を触った。平らな石をつなぎや固定剤なしに積み重ねているように見えて、信じられなくなったのだ。 だってこれじゃ、人の手でも解体できそうだし、車が突っ込んだら崩れそうだし、何より地震があったら跡形もなく瓦礫の山になってしまうし…。 ここが地震のない土地だということは知っている。 だけどこんな無防備な建築物ってあり得る?? 本

        • 水の伴走 平泉

          五月の平泉 駅の隣でレンタサイクルを借りて、毛越寺、中尊寺、達谷窟毘沙門堂を巡る。 晴れた春の緑の中をすいすい自転車が走っていく。 走る間、平泉ではそこらじゅうで水音がわたしを伴奏する。 足もとや肩の隣、視線のすこし上のほう。 丘の多い平泉では、いろんな高さの水路に出会う。 田んぼが水で満たされて、きらきら光る。 町の外、田んぼの間をずっと走る。こんなにも長くつながる用水路の手のこめられた美しさにさらさらと流れていく。 こういう旅が好きだ。暮らしの中で大切に守られ続けられ

        観光客を観光する

          国語という科目

          小学校一年生の頃、英会話教室で 「好きな科目はなに?」といった質問をされた。 『国語』と答えたかったけれど、『国語』を英語でなんと言うのかわからなかった。 受付のお姉さんに尋ねると『国語』は “Japanese”だと教えてくれた。 その時、ハッとした。 英語で『英語』は “English”だ。 あの時のハッとした感覚を今も覚えている。言葉によって物ごとにどんな名前をつけるのか、どんな語りの演出するのかが違うんだ。 わたしは、公用語の教育を『国語』と名づけた社会で育った

          国語という科目

          旅の話

          初めての土地へ行って、思いがけない宿に泊まり、通学する学生たちと電車に乗り、そっけない観光客を見送り、水がさらさら流れる水路を肩の高さに自転車で田んぼの中をかけていく…。 何もかも素晴らしい旅だった、のに、大事な人に会って捲し立てたおみやげ話は食べ物のことばかり。 会う時間全部を使っても足りなかった。 あんなに美味しい牛肉は生まれて初めてだった。 そんな前沢牛を心の中でもう一度味わう(*´﹃`*)

          おみやげ

          すぐにおみやげを渡したかったのに風邪をひいてしまった。 旅から帰って3週間、「おみやげを買ってくるね」と言って3週間、会えずにいた。 もう体調ももどったし、今ならもうあの人に会っても病気をうつしたりしないだろう。 こんなことを考えるようになったのは、コロナのパンデミックを経験してから。 早く会って、おみやげを渡して、旅で見た景色全部を届けたい。

          松島や

          震災から3年ほどして、仙台と岩手を旅行した。 私のそれまでの人付き合いには縁遠い地域で、 とても長い時間数の報道がどんな所なのかほとんど想像できないことを何かいけないことのように思ったのだった。 友人と仙台と石巻、塩竈、松島のあたりをぶらぶらと訪ねた。 あまり下調べをしないまま、のんびりとした旅だったように思う。 松島に着いた。 ここが松尾芭蕉が「松島や」とため息を溢れるように句を詠んだ景色か、と思いつつも私にとっては生涯で一番での景色ではなかった。 あの句で景色に対する

          旅することとされることって?

          オーバーツーリズムとか環境公害とか、そんな言葉が出来て、 自分が旅していたのはそんなに迷惑だとなことじゃなかったはずだと言い訳を探したり、 いやあれは本当は迷惑だったのだろうか、とひとりで考える。 私が旅される側になった時「ゆとりのない日常」というかはっきり言えば「満員電車」に乗り慣れていない集団が立ち入るのはちょっといやだったり、たいへんいやだったりする。特に出口付近に陣取って、駅に着いた際に道をあけてくれないのは大変いやである。 観光客はいつも心の中で地元と旅先を比べ

          旅することとされることって?

          どんな宿で満足するか 私の場合

          友人とどこか泊まりで出かけようという話になった。 結論、その友人とは宿の選定の好みが全然一致しなかった。 彼女は高級ホテルとか、部屋が綺麗なホテルとか、ホテル内で過ごすのが好き。アフタヌーンティー とかホテル内でのアクティビティがあれば、優雅に楽しめて嬉しい。 私は、地理的に遠くて、いつも暮らしている街と違う雰囲気の土地にあって、食べ物の美味しい宿が好き。ホテルは綺麗で広くて清潔であるにこしたことはないけれど、そんなことよりも見知らぬ土地を歩き回りたい。 ある時、泊まりが

          どんな宿で満足するか 私の場合

          ブレーメン 旧市街・新市街

          旧市街・新市街という言葉に初めて出会ったのは、ゲームのロマンシングサガ3だった。 ゲームのマップ上で新しい建物の街と古い町並みとが分かれていたけれど、それが何を描いたものなのか全くわかっていなかった。 現実に自分の身体で旧市街と新市街を歩いたのはドイツのブレーメンが初めてだ。細い石畳の路地に小さな、そして大切にされたお店が並び、1時間ごとに時を告げる金が釣り下がっていた。 こうした古い建物が文化財として人が触れるのを制限して保護されているわけでもなく、日常の空間になってい

          ブレーメン 旧市街・新市街

          東京の商店街 自転車の観光客

          駅まで続く商店街。 銀行があり、コンビニがあり、携帯ショップがあり、ドラッグストアがある。八百屋さん、クレープ屋さん、居酒屋、美容院、もみほぐし…。 路地の幅は5メートルもないんだろうな。人と人は触れ合わないけど、前の人を追い越すのが難しいくらい混んでいるし、夕方ならなおのこと。 自転車で通るときは、この通りじゃなくて一本となりを走るか「歩くよりは結果ちょっと早い、時々空中で止まる」くらいの速度で移動する。 私は旅先で自転車に乗るのが好きだ。 元々自転車で風を切って走る感

          東京の商店街 自転車の観光客

          図書館 岩手県一関市

          いい図書館だった。 施設の美しさ、新しさ、窓が多くて明るいこと、児童書のエリアが独立していて子どもたちや親子連れに配慮されていること、お手洗いがきれいなこと、図書館に機関車があること。 蔵書の選定も素晴らしかった。 街を歩いてどれだけ本屋さんがあるのか、モールにはあるのかもしれないけれどどれだけの書籍が揃えられているのか、通りすがりの旅人にそんなことを心配されてもうれしくないかもしれないけれど、想像してしまうのだ。 いくら通販で本が取り寄せられるからといっても、そこに並ん

          図書館 岩手県一関市

          『舞姫』 冬のベルリンを歩く

          高校の授業で森鴎外の「舞姫」を読んだ。 「石炭をばはやつみはてつ」 雅文体のドラマチックな小説。 その授業の後、冬にベルリンを旅した。 子どものころから本を読むのが好きだった。 本を読めば知らないことを知ることができると思っていた。 空想するのも大好きで、人間の想像力は限りがないと信じていた。 ドイツの冬は、東京で過ごしてきた私が想像するよりずっと寒かった。 手袋をしないで外に出かけると手から風邪をひくような寒さだし、数日いればマイナス5度は寒いけど、0度は暖かいと思え

          『舞姫』 冬のベルリンを歩く

          旅をすること、されること

          職場のあたりに観光客が来るようになった。別に新しく何かができたわけでもないけれど、昔からそこにあったものを街のシンボルと観光客が認識して、日本・東京都訪れた記念に写真を撮って行く。 街のシンボルというのは東京タワーだ。わかりやすいでしょ? 私も今月、旅行をしてきたところ。行った先の建物の写真を撮ったし、もしかしたら地元の人が守っているルールからはみ出た行動をしてしまっているかもしれない。 地元の人の生活が垣間見える瞬間をすごく面白がっているし、なによりそうして訪ねた先を「

          旅をすること、されること