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旅することとされることって?

オーバーツーリズムとか環境公害とか、そんな言葉が出来て、
自分が旅していたのはそんなに迷惑だとなことじゃなかったはずだと言い訳を探したり、
いやあれは本当は迷惑だったのだろうか、とひとりで考える。

私が旅される側になった時「ゆとりのない日常」というかはっきり言えば「満員電車」に乗り慣れていない集団が立ち入るのはちょっといやだったり、たいへんいやだったりする。特に出口付近に陣取って、駅に着いた際に道をあけてくれないのは大変いやである。

観光客はいつも心の中で地元と旅先を比べている。旅される土地の者としては、好奇心で一時的な立ち寄っただけの人にあれこれダメ出しされるのも癪に障るけれど、旅に出れば自分も見慣れないものに夢中になる。

旅は罪なんだろうか?
昔ならテレビの向こうで街を見ていた人が、テレビの向こうにいるままの他人事な気持ちで土足で生活圏に現れた野蛮な行為なんだろうか。
旅をそんな風にまとめあげるのは乱暴か。

見る者と見られる者、生活している者と通りすがりの者、
眼差しが行き交って、
街を運営する人と運営された街を滑るように歩く人の肩が触れそうで触れ合わずに瞬間的に同じ道を歩く。

私は私の街を歩く観光客をただ嫌えばいいんだろうか?
私の中の彼らや日常への期待はなんなんだろうか?
なんだかよくわからなくて、とりあえず社会学の新書を手に取ってみる。

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