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松島や

震災から3年ほどして、仙台と岩手を旅行した。
私のそれまでの人付き合いには縁遠い地域で、
とても長い時間数の報道がどんな所なのかほとんど想像できないことを何かいけないことのように思ったのだった。

友人と仙台と石巻、塩竈、松島のあたりをぶらぶらと訪ねた。
あまり下調べをしないまま、のんびりとした旅だったように思う。

松島に着いた。
ここが松尾芭蕉が「松島や」とため息を溢れるように句を詠んだ景色か、と思いつつも私にとっては生涯で一番での景色ではなかった。
あの句で景色に対する期待値が上がりすぎてしまっていた。

海岸を歩くと震災で津波がどこまで来たかが記されて、心がざわついた。
もうしばらく歩くと坂上田村麻呂が来たことを記した小さな廟があった。

あぁ、こんなにも遠くまで来たんだ。
千年も昔に、人と馬とで…。
とんでもない出張で、遠征で、よくここまで生きて辿り着いたと感激した。
でも、それは一方で坂上田村麻呂に切り拓かれてしまった、進軍されてしまった土地の人々がいたことでもあるのだけれど。

松島では、遊覧船にのって湾をぐるっと一周した。
甲板で鳥に餌をあげようとすると鳥たちが猛スピードで飛んで船についてきて、死に物狂いで手元から餌を取っていくからほとんど鳥に襲われる感覚だった。
怖さと、でも自分の安全を確信しているからこそのおかしさで笑ってしまった。

松島の鳥は今も同じだろうか。

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