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ロシア料理の思ひ出

ロシア料理には若い頃から慣れ親しんできたと思う。
学生時代は田舎から友達が遊びに来ると、よく新宿ミロードの中にある「マトリョーシカ」に行った。ここは気軽にロシア料理を楽しめる店で、初めてピロシキやボルシチ、ジャムを入れて飲むロシアンティーを知った。
ある時なぜか友達が、店で販売されていたマトリョーシカをお土産に買ってくれて、そのマトリョーシカは何度引っ越しても手元に残り、断捨離魔の私がよく処分しなかったなと思うが、今では年季が入ってアンティークのような趣になった。

裏底にはmade in USSRとありソビエト連邦時代に作られた物のようだ


神谷町で働いていた頃は、麻布台方面へ歩いて行ったところにある「ミンスクの台所」というベラルーシの家庭料理の店によく行った。
そばの実とキノコの壺焼きやボルシチが美味しかったが、一番覚えているのは棚にずらりと並んだ何種類もあるウォッカだった。バニラやチョコレートやベリーなど
いろいろな風味を行くたびにショットで飲んで違いを楽しんだものだ。
ベラルーシの女性は美人さんが多いそうで、お店のスタッフも白い肌に金髪ロングヘアの綺麗な方ばかりだった。

職場は東京タワーの近くだったが、そこからすぐの所に「ヴォルガ」というロシア料理店もあり、昼休みになると同僚とランチに何度か行った。
店は見るからに周辺では異彩を放つロシア宮廷のような外観で、いくつもの玉ねぎ型のドームが屋根に建っていた。
一階はエントランスで階段を降りて行くと地下がレストランになっていた。
店内は帝政ロシア時代の貴族の邸宅を彷彿させる雰囲気で、仄暗い灯りと格調高い内装が印象的だった。天井からシャンデリアが下がり、床には深紅の絨毯が敷き詰められ、サテンゴールドのクッションのような厚みのあるふかふかの布が貼られた壁の前には騎士の甲冑が飾ってあった。
映画の舞台セットのような日常を離れた異空間で昼休みを過ごすと、よい気分転換になった。
独特な雰囲気のある店だったので撮影にもよく使われていたようだが、現在は閉店してしまい、あのロシア宮廷まがいの建物も取り壊されてしまったのは残念だ。



私が住む国ではロシアの食文化がかなり伝わっていて、ピロシキ風のミートパイやロシア風水餃子のペリメニなどはスーパーでも買えるし、ブリニと呼ばれるロシアの小さなパンケーキも食べられている。
たまにサモワールという給茶器が置かれている店もあるし、かつてソ連の一国だったジョージア(旧グルジア)料理店も人気がある。
ボルシチは家庭料理として広まっており私も冬になるとよく作る。ビーツの綺麗な赤は食欲をそそり、白いスメタナを混ぜるとコクが出て薔薇色のスープになる。仕上げにディルというハーブをのせる。
寒い冬の日に食べるとポカポカと体が温まるのだ。
いつも鍋一杯に作るので残った時は、次の日にペリメニを入れて食べるとまたそれも美味しい。

家庭で作るボルシチ




小学生の頃、おじいちゃんがロシア人というクォーターのクラスメイトがいた。ときどき光の加減で青色を帯びるその子の瞳はとても美しかった。
ソ連・ロシアの切手は芸術的なデザインが多くよく集めていたし(ヘッダー画像の切手)、アンドレイ・タルコフスキーの映画も、ユーリ・ノルシュテインのアニメーションもチェブラーシカも、1980年モスクワオリンピックのマスコット・こぐまのミーシャも大好きだった。
こうして並べてみると、ロシアはけっこう自分の中では馴染んでいた国だった。

ああ、それなのに…
私が住む国は今、ウクライナ情勢の影響でとても微妙な立場にある。
ロシアは何世紀にも渡りこの国にとって脅威だったが、第二次世界大戦後はずっと絶妙なバランスを保ち友好関係にあった。
まさかとは思うが、情勢次第ではこの国にも火の粉が飛ぶようなことになったらどうしよう…と心配してしまう。
今までの努力が無に帰すようなことになりませんように。



どうか、国と国の行き来も自由で世界中の美味しい料理が味わえる、平和な世の中でありますようにと願ってやまない。



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