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私のおせち、伝えてゆくもの

新年明けましておめでとうございます。

最後に日本でお正月を過ごしてから、10年以上も経ってしまった。
私の住んでいる国では新年を祝う習慣がないので、元旦以降は通常通り仕事も始まる。
日本に住んでいた頃は、それほどおせちが好きだったわけでもないのに、海外に住むようになってから、どうしてもお正月を味わいたくなった。

母の思い出と自分流のおせち

子供の頃の大晦日の記憶というと、母が一日中台所に立ち、おせち料理を作っていたことだ。
黒豆をストーブで一日中コトコト煮て、大きな壺にスルメと人参を漬けたり、お煮しめも大量に作っていた。
おせち料理を母に習っておかなかったことを少し後悔している。
母が亡くなって久しいので、もう聞くことは出来ない。
息子の手が少し離れるようになった頃から、インターネットでレシピを検索しながら自分流でおせちを作るようになった。
だから自分が家で食べていたおせちとは少し違う。育った地方では作らないものや、母が作っていなかった料理の方が多いかもしれない。

海外に住んでいると、日本と同じような食材を手に入れるのはなかなか難しい。
毎年、ちゃんと食材が手に入るかやきもきして、日本食材店やアジアンマーケットや品揃えの良いスーパーなどを梯子して、その時出来るだけの食材を揃える。
今年は餅の輸入が間に合わなかったらしく店で手に入らなかった。お雑煮なしになった。金柑もいつも売っている店になくて甘露煮も出来なかった。栗きんとんも日本から送ってもらっていたが今年はなし。
海外なので仕方がないけれど…。

かまぼこ以外は全部自分で作るしかない。
おせちは、いつも黒豆を炊くことから始める。半日近く弱火でコトコト炊く。
その間に、他の料理にとりかかる。
なますは大根と人参、大根と柿の2種類を作る。
イクラは醤油漬けにする。殻つきの海老は旨煮に。枝豆が手に入ったので浸し豆にした。
伊達巻は、白身魚と卵をフードプロセッサーにかけ、出汁や蜂蜜や砂糖などを混ぜた後にオーブンで焼き、自作の鬼すだれで巻く。
いろいろ同時進行でやっていたら、なんと砂糖を入れ忘れ只の出汁巻みたいになってしまい、息子に甘くないなら絶対食べない!と言われ、もう一本作るハメに…。
筑前煮は、レンコンは花蓮根、こんにゃくは手綱、人参はねじり梅、里芋は六方むき、絹さやは矢羽根に切る。かまぼこも手綱や結びなどにしてみる。
飾り切りは手間はかかるけれど、嫌いじゃない。一つ一つの形に意味があり新年への願いがこめられている。
この国のサーモンは肉厚で脂が乗っていて美味しいので昆布巻きに。
ここまでですでに2日くらいかかっている。
ラストスパート、開いた鶏むね肉に人参とインゲンをのせて巻き、フライパンの上でコロコロ転がしながら焼いて八幡巻の出来上がり。

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元旦の朝、テーブルクロスを替え、漆の重箱や漆器を出すと、清々しく改まった気持ちになる。

小さな頃から作り続けてきたので、今では息子もおせち料理を楽しみにしてくれるようになった。
こうやって目で見て味わって、日本の文化や美意識を伝えてゆくことは、日本に住んだことのない息子にはとても大切なことだと思っている。

夫はこちらの国の人にしては珍しく元々お寿司やお刺身などの生魚が大好きで、日本料理も喜んで食べてくれる人で良かったなぁと思う。
在住日本人の友人達のパートナーの中には、味噌や醤油やお米など日本の味が好きじゃないとか、酢が臭くて嫌だという人も結構いるのだ。
おせちを作っても家族の誰も食べないから、と諦めている友人もいる。
それはちょっと悲しい。

バベットの晩餐会

大晦日の夜にやっと時間が出来たので、「バベットの晩餐会」のデジタル・リマスター版を観た。
何しろ35年も前に、今はなきシネセゾン渋谷で一度観たきりで、ストーリーの殆どを忘れてしまったので、初めて観たのと同じだった。

舞台は19世紀後半のデンマークの寒村。
敬虔なクリスチャンで清貧な暮らしを送る老姉妹の元に、パリ・コミューンの動乱によって夫も子供も亡くしたバベットが逃れて来る。その境遇に同情した姉妹は、バベットをお手伝いとして家に置くことにする。
十数年の月日が流れたある日、バベットは宝くじで1万フランが当たり、お世話になっている姉妹の牧師であった父親の生誕100年を記念した晩餐会の料理を、ぜひ自分に作らせてほしいと懇願する。
姉妹は了承したものの、フランスから生きたままの海ガメやウズラなど様々な見たこともないような食材が次々に届き、恐れ慄いた姉は信者に、こんなことになって申し訳ないと謝ると、信者達は何があっても料理を味わわず、食事についても一言も発しないようにすると誓うのだった。

海ガメのスープに始まり、キャビアが乗ったブリニ(ロシアの小さなパンケーキ)のデミドフ風、ウズラのパイ詰め石棺風、デザートはクグロフ型のサヴァランとフルーツ盛り合わせ、お酒はアモンティラード(スペイン アンダルシア産のシェリー酒)、1860年産のヴーヴ・グリコ Veuve Clicquot Ponsardinシャンパン、クロ・ヴージョ Clos de Vougeotのワインなどなど、観ている側もその独創的で美しい料理の数々にうっとりする。

選りすぐりの食材を使った美味しい料理と最高級のお酒に、頑なだった信者達の心はほぐれて、最後は皆んな幸せな気持ちになって晩餐会を後にするのだった。
バベットに姉妹が礼を言うと、自分はかつてパリの有名レストラン「カフェ・アングレ」の女料理長だったと打ち明ける。
パリに戻ってもあなたを忘れないと言う姉妹に、バベットは今晩の料理に1万フラン全て使ったので自分にはもう帰るところはない、この地に留まります、と告げるのだった。

劇中での "天国に持っていけるものは人に与えたものだけ" という言葉が心に響いた。
バベットの料理は彼女の腕もあるけれど、もてなしと感謝の心がこめられているのだと思った。



バベットの晩餐会ほどのものは作れなくとも、ずっと息子の記憶に残ってくれたなら。
私はこれからも毎年おせちを作り続けるだろう。


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