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「魂の退社」稲垣えみ子〜ロックな生き方

稲垣えみ子さんのことは、アフロ記者として朝日新聞社勤務だった頃から気になっていた。
一度見たら絶対忘れないアフロのヘアスタイル、冷蔵庫など家電を一切持たない暮らし、彼女という人に興味津々だ。
今まで彼女の著書は読んだことはなかったので、今回『魂の退社』を読んでみた。

"アフロにしたらモテ期が訪れた" という件には、笑ったが頷いてしまった。
私だって、もしこんな人が側にいたら、面白そうだから友達になりたい!と思うだろう。
私も20代前半、ブラックミュージックにどっぷり浸かりクラブ通いをしていた頃(パリピではありません 苦笑 当時のクラブシーンは音楽を聴きに来てる人も多かった)は、アフロとまではいかなくても、元々の癖っ毛に更にスパイラルパーマをかけ爆発したようなボンバーヘアにしていた。モデルのはなさんが昔していたような。
最近また流行ってきているのか?IKKOさんや桐谷美玲さんもイメチェンで似たようなヘアスタイルにしている写真を見かけた。
ちなみに現在の私は、ボブヘアの地味なオバさんである。

しかし稲垣さんの魅力は、インパクトのあるアフロが似合う外見だけでなく、生き方がロックなのだ。
柔軟な発想力があり、社会では何となく当たり前とされている事にも疑問を持ち、50代だろうと未知の事に飛び込んでゆくエネルギーがある人だと感じた。

稲垣さんは著書の中でこう述べている。

私たちは自分の人生について、いつも何かを恐れている。
負けてはいけないと自分を追い詰め、頑張らねばと真面目に深刻に考えてしまう。しかし真面目に頑張ったからその分何かが返ってくるかというと、そんなことはないのである。そしてそのことに私たちは傷つき、不安になり、また頑張らねばと思い返す。そして、その繰り返しのうちに人生は終わってゆくのではないかと思うと、そのこともまた恐ろしいのである。

「魂の退社」稲垣えみ子

実に同感です。
とくに今、困っているわけでなくとも、近い将来のこととか、老後のこととかを考え始めると、漠然とした不安が訳もなく襲ってくる。
自分を含め、現在50〜60代くらいの方々は、たぶん多かれ少なかれ同じような思いを抱えているのではないか。

しかし稲垣さんのすごいところは

幸せとは努力したその先にあるのではなく、以外とその辺に転がっているものなんじゃないか?
そう思ったら、会社を辞めるって、意外にそれほど怖いことじゃないんじゃないか

「魂の退社」稲垣えみ子

と思えて、実際に28年間勤めた会社をお辞めになってしまったのだ。
そして、その後のことが、この著書には記されている。


実は私も会社で働くことをやめた人間だ。
きっかけは海外移住だったが、私のような移住者だってこちらで会社勤めしている人は周りに沢山いる。というか、大多数の人は何処かに勤めている。しかし、私はもう会社勤めはしたくなかった。
それは移住する際の自分の年齢が、40代に突入するタイミングだったことも大いに関係していた。
稲垣さんも著書の中で書いていたが、40歳という "人生の折り返し地点" を迎え、日本にいた頃と同じような働き方はもうしたくないと思ってしまったのだ。

それまでの私は独り身で、長年WEBデザインの仕事をしていたが、これから先もこの仕事を続けてゆくことに限界も感じていた。
WEB業界の流れは恐ろしく速い。技術やサービスは常に進化し続け、それに合わせて自分の知識や情報、スキルもアップデートし続けなければ、あっという間に取り残されてしまう。例えるなら、常に水面下では必死に足をバタバタしながら、もがいているような状態であった。
WEBの仕事じたいまだ歴史も浅く、インターネットが世に普及してから30年にも満たないくらいなので、黎明期にあたる自分達より上の世代というのはほぼいないため、10年、20年先の将来像も描きにくかった。
私はこのまま流れに乗り続けることに疲れてしまっていた。
それでも東京に住んでいた頃は、一人で食べてゆくためには会社を辞めることはできなかった。できないと思い込んでいた。
しかしその後、私はついに仕事を辞め海外に移住、結婚、あれよあれよという間に妊娠・出産を経て、自分の人生は次のステージに入ったのだと感じた。
私はそれまでの働き方・生き方をリセットし大転換させることにした。


稲垣さんは、東日本大震災で起こった原発事故を機に、節電のために家電を使わないという生活に入り、50歳で会社を辞めた。

そしてその瞬間から、私はそれまでとは「違う世界」を生きることになりました。そしてこの世界こそ、無限の可能性に満ちた世界だったのです。
それは、閉塞感に満ちた現代におけるイノベーションでありました。私の人生における革命でした。
人生の可能性というのはどこにどう隠れているかわかりません
ー 中略 ー
つまり何かをなくすと、そこには何もなくなるんじゃなくて、別の世界が立ち現れる。それはもともとそこにあったんだけれど、何かがあることによって見えなかった、あるいは見ようとしてこなかった世界です。で、この世界がなかなかすごい。
つまりですね、「ない」ということの中に、実は無限の可能性があったんです
でも私は頑張って「ある」世界を追求してきた。「ある」ことが豊かだと思い、そのために働いておカネを一生懸命稼いできた。しかし「ない」ことにも豊かさがあるとしたら、それはいったい何だったんだと。

「魂の退社」稲垣えみ子


ここまで読んで、私は、ほぉーーと、感慨にうち震えた。


移住後、私はどうしたかというと、無謀にも起業した。
もう会社勤めはしたくないなら、自分で自分の仕事を作るしかない、と考えた末の苦肉の策だった。
残念ながら未だに大した利益は出せておらず、結局悩みは尽きないのだけど…それでも自分のペースで働けるのはよい点だと思っている。
小さい頃の息子は病弱で、しょっちゅう原因不明の熱を出し、急に保育園に迎えに行かねばならなくなったり、病院へ行ったり家で休ませることも多く、そういう時も家で仕事していると融通がきいた。

東京に住んでいた頃は、仕事の疲れとストレスで自炊する気力もなく、ほぼ毎日外食だったし、沢山物を持てば持つほど逆に虚しさが増していた。
この国に住んでから私はめっきり物欲がなくなり、物を買うことがどんどん減っていった。
今は趣味的なことも、ドラマや映画は配信で観れて、たまに映画館に行けて、本は電子書籍で読めて、音楽もサブスクやダウンロードで聴ける位のお金があれば、それで十分だなぁと考えている。
物を増やしたくないので、エンタメ関連のものも基本的にはデータで保存だ。
それでも、節約とか我慢しているというわけでもない。
この国の民は、お金をかけなくても、四季折々の自然の中で過ごすことだったり、何もないことを楽しむ、ということを知っているとも思う。


今だって、自分の選んだ道は本当にこれで良かったのかと、迷うこともある。これからもどうなってゆくのか先のことはわからないし、確固たる覚悟があるわけでもない。
それでも、とりあえず今、住む家があり、家族がいて、差し当たり食うに困っているというわけでもない。

これ以上、自分は何を求めるというのだろうか。

何を幸せと思うか、それは人それぞれだろうけれど、「ない」ことを数えるよりも、今「ある」ものに目を向けたいとも思うのだ。


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