見出し画像

コーヒーを待つ10分で、違う景色を噛みしめる。

同じ景色を前にも見に来た。

いや、違う。
緯度と経度で言えば同じだが、
景色はちょっと違う。

「どこどこから見る夜景」とか
「どこそこのドライブコース」

そのくくりで見れば同じかもしれない。
でも、やっぱり同じ景色ではない。

空に浮かぶ雲のかたちも、隣にいる人も、
その時の自分の感情も、交わす言葉も、
手に抱える荷物も、時間帯も。
全部違うのだ。

同じ場所に来ても、同じ景色を見ることはない。

まちを歩く、まちを探索するという楽しみはそこにあって、今その時その瞬間、一緒にいる人と同じ時間空間、そして事象の組み合わせを楽しむことに、魅力がある気がするのだ。

例えば、遊ぶ場所が何もない場所かもしれない。
でも、「楽しむ」という感覚をそこに据えられるのであれば、ずっと住んでいる場所、よく来る場所でも、全く違う景色として楽しめる。

・・・・・・・・・・

そんなことを考えたのは今日の夕方。

カフェめぐりが好きな僕は、
今日も行ったことが無いカフェに行き、
コーヒーを頼む。

コーヒーを待っている間の頭の中である。

そのカフェまでの道のりは、何度も通ったことがある道だけど、人通りが普段より少なかったため、いつもは多くの人の足で隠れる地面が顔を出し、「あ、こんなところにこんなマンホールあったんだ。」とか、「こんなとこに古書店あったんだ。エモい。」と、違う景色を楽しめたのだ。

地元が好きな僕は、「何もない場所」「楽しくない場所」と言われるのが、なんだか寂しい。だから、そういう町の楽しみ方というか、歩くコースとか時間帯とか天気とかお店を回る順番とかの組み合わせを変えるだけでも、色んな発見があって、まち歩きだけでも「楽しめる」ということを伝えられたらな。そう心の底で強く感じるのだ。

・・・・・・・・・・

「同じ町にいると飽きる」「何もない場所」
と言っていた昔の僕に、
毎日違う景色が見れるこの感覚を教えにいきたい。

そう思った頃にちょうど頼んでいたコーヒーが机の上に置かれたのだった。

この記事が参加している募集

スキしてみて

私のコーヒー時間

皆様のサポートは活動費に使わせていただきます。 まだまだ成長過程の未熟者ですが、ご支援いただけますと大変嬉しいです。 どうぞよろしくお願いいたします。