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圧倒的な量と圧倒的な負荷の先にあるもの

限界を超えた先に何があるのかということを考えたことは誰しもがあると思います。

できるわけがないと自分で決めていることもあるでしょうし、ここはやるしかない!!ということで一点突破、それを突き進むこともあるでしょう。

誰しもが、一生に幾度かはそのような時があるかと思います。


これは、チャンスとか、チャンスじゃないとか、そういう話ではなく、自分ではできないんじゃないのか!?と思えるようなことに立ち向かった先に何があるのかということです。


20200803段ボール

72時間で睡眠3時間で
ぶっ通し花たちと向き合う
フラワーマーチング

MORIYAではフラワーギフト専門店ということで、毎年母の日が最大の繁忙期なのですが、ここ数年間は、繁忙期でも少なくとも一日に2時間は寝るようにしています。

ですが、それまでの間は今でも想像できないほどの圧倒的な量のお花たちと向き合いながら、繁忙期を過ごしていました。

3日間で1か月分のお花を作る

普段、MORIYAでは1日30個程度のフラワーギフトを制作しているのですが、母の日期間の最盛期では1日300個を3日間制作するという目まぐるしい時間を過ごしました。

クオリティを落とせば、その量もさっとこなすこともできたでしょうが、お客様のことを想うと、一つひとつに込めた思いを取りこぼすことはできません。もちろん、母の日であってもクレームはゼロ。クオリティを落とすことはしませんでした。(これでも母の日1週間前にはご予約の承りを中断していました。)


作る、作る、作る、作る、作る、、、、3日間=72時間の中で、36時間ぶっ通しで作り続けて30分寝て、18時間作って1時間半寝て18時間作り、1時間寝て、15時間作る。


今何個まで作った?152個?じゃあ、あと148個。あと100個、あと52個、あと3個、終わった、はい、じゃあ次の300個から・・・・。

いつの間にか、天井がどちらで、地面がどちらかわからなくなり、その場に倒れ込んで、地面と自分の境界がわからなくなってくる感覚に幾度となく陥り、そのまま少し寝る。

文字通りたたき起こされるように起き、また花に向かう。気づけば、自分が花を入れる前に、花が入っているようなおかしな感覚になり、気づけば完成している。


動作の無駄がそぎ落とされていく

現実と感覚が逆転したような意識になり、一つひとつに意識が向かなくなってくるのだけれども、むしろ迷わず手が動き、無駄がそぎ落とされたかのように、必要最低限の動きだけでが残るようになる。

一歩歩くだけでも、顔を上げ下げする、鋏を使う、花を掴む。一つひとつの動作がはっきりとわかるようで、わからないような感覚。

それでいて普段、無意識に動かしていた身体の一つひとつが頭で意識をして、それで動作が起きるという一連の動きをはっきりと感じるようになります。

高齢の合気道や柔術の達人が、自分よりも二回りも大きい男性をちょっとした動作でばったばったとなぎ倒す動画を見たことがある人もいらっしゃると思いますが、その時はまさにそのような感覚だったと記憶しています。

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圧倒的な量が感覚を養う

型があるから型を破ることができる、型破りという言葉があるように、一つの動作を積み重ねることで、技術を極め、技が技から抜けて、自分の中に融合して、自分のものになっていきます。

技という言葉の由来を考えると

技:木の枝を5本の指、手のひらで細い木を持って木細工をつくるさま

を表現しているとのことです。

まさに、てづくり、ものづくりを重ねることで、技術を重ねていく。
それは、ものづくりだけに留まらず、スポーツなどの身体技法、道が付くような華道、書道、茶道、柔道、剣道などなど、同じことだと思います。

自分だけの道を見つけようとする時、もしあなたがその道の入り口に差し掛かったならば、きっと出会うだろう【圧倒的な量を積み重ねる】機会を十分に活かして欲しいと願っています。

そのように考えると、冒頭ではチャンスではないと言いましたが、実はチャンスだったのかもしれません。

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概して、

チャンスとは、その時チャンスと思えず、後で振り返ってチャンスだった

と思えるものだと思います。


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