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僧侶は世間知らず?(5)僧侶ならおさえたい社会問題

前回の続き

前回のnoteでは,「世間知らず」の「世間」とはなんなのか,世間知らずにならないようにするためにはどうすればよいかについて,考えていることを書かせていただきました。

・「世間」というのは多くの場合民間企業を指す
・世の中は広すぎる。世間をすべて知ることなどできない
・わからないことは正直に「わからない」と言う

私は,僧侶に求められている「世間を知る」というのは,今世の中で苦しんでいる,厳しい立場におかれている人の問題に関心を持ち,声をあげていくことだと考えています。今回は,私の考える僧侶がおさえておきたい社会問題,そして僧侶が社会問題に取り組む意義について申し上げたいと思います。

僧侶がおさえたい社会問題①貧困格差

今,日本の子どもの7人に1人が「相対的貧困」の状態にあるといわれています。子どもの貧困というと,ストリートチルドレンを思い浮かべる方もいらっしゃると思います。食べ物がない,家がないなど人間としての最低条件を欠くような貧困は,「絶対的貧困」とよばれています(参考:公益社団法人 チャンス・フォー・チルドレン)。相対的貧困とは,所得を低い人から高い人まで順に並べたとき,ちょうど真ん中の人の所得の半分以下の所得で生活している人々のことです(参考:浄土真宗本願寺派『宗報』2018年8月号 ※pdfファイルが開きます)。

当たり前のことですが,どんなことでも順番に並べれば最下位の方もいらっしゃいますし,第1位になる方もおられます。この統計が表しているのは,格差が増大し,少ない所得で生活している方が多くおられるということです。社会状況や経済の変化のしわ寄せを受けやすいのは,子どもやお年寄りといった弱い立場の人々です。相対的貧困は,周囲の子どもたちとの差を感じさせ,劣等感や疎外感を生み出します。そして,子どもの貧困はその子どもが成人したとき,大人の貧困,次世代の貧困につながります(参考:浄土真宗本願寺派『宗報』2018年8月号)貧困格差の問題は,本願寺派でも重要視されているテーマのひとつです。

僧侶がおさえたい社会問題②非正規雇用

正社員として働くことが難しい時代になってきました。2004年(平成16年)に「労働者派遣法」が改正され,さまざまな分野,業種に派遣社員の適用範囲が拡大されました(参考:改正労働者派遣法の概要-厚生労働省 ※pdfファイルが開きます)。私たちが普段お世話になっている,病院や役所の窓口にも派遣社員の方は多くいらっしゃいます。問題なのは,こうした非正規雇用の方々はきわめて立場が脆弱であり,経済状況が悪化したとき真っ先に解雇される可能性が高いということです。会社にとっては,非常に都合のいい存在といえるかもしれません。

「氷河期世代」「ロストジェネレーション」と呼ばれる人々の中には,非正規雇用のお仕事に就いておられる方が非常に多くいらっしゃいます。具体的な年齢でいうと,2020年現在40歳前後の方々が「氷河期世代」であるといわれています(参考:あしたの人事online)。「好きでその仕事を選んだんだろ」という声をときどき耳にしますが,たとえすぐれた能力があったとしても,「氷河期世代」の方々には就職口がほとんどありませんでした。バブル経済が破綻し,不景気になった企業が採用を絞り,求人倍率が大幅に低下したからです。

生まれる時代は自分で選ぶことができないのに,いったいどこが自己責任なのでしょうか?現在,新型コロナウイルスの感染拡大に伴い,経済活動に甚大な影響が生じています。大勢の人々を「自己責任」と切り捨ててきた間違いを繰り返してはならないと強く思います。

他にも知っておくべき問題は多くあると思いますが,ひとまず今回は①貧困格差②非正規雇用についてご紹介をさせていただきました。

お寺にも非正規雇用は存在する

非正規雇用の問題と,①で申し上げた貧困格差の問題は密接に関連しています。宗門としても,こうした人々への支援や社会制度の改革に声をあげていくことが必要と私は考えています。しかし,本山自身も非正規雇用の職員を少なからず抱えており,なかなか強く主張できないのだろうと想像します。本願寺,大谷本廟(宗祖親鸞聖人の御廟所)の受付に立っておられる方の多くは臨時職員です。参拝者の方と直接お会いすることは少ないかもしれませんが,庁舎の中でも臨時職員の方がお仕事をしておられます。人件費や一般寺院の負担を考えると,すべての職員を正規雇用することは難しいのかもしれません。

本願寺派に限らず,宗門のやり方に不満のある方もいらっしゃるかと思います。だからといって,末端の職員の方にイライラをぶつけても何も変わりません。本山にお参りに行きますと,受付で横柄な態度をとっているご住職の姿をみかけることがあります。先ほど申しましたように,立場が不安定な職員の方もたくさんいらっしゃいます。反撃できない職員を痛めつける,きわめて卑劣な行為です。本山に言いたいことがあるのなら,訴えていくところは他にあるはずです。

弱者を切り捨てる社会にNOをつきつける

苦しい立場に置かれている方を,「自己責任だ」と排除し続けたらどんな世界になるでしょうか?「競争」が悪だと言っているのではありません。一度競争に敗れた人,もれてしまった人が,再チャレンジできる社会になっているでしょうか?弱者が全て滅び,超エリートの集団ができあがったとしても,そのエリートの中でまた順番がつき,最下位の者から滅んでいくのではないでしょうか?

お釈迦様は,「縁起」という真理を明らかにされました。「世の中のすべてのものごとは,お互いに関係しあって成り立っている。独立不変のものはひとつもない」ということです。「因縁生起(いんねんしょうき)」ともいわれ,私たちがよく使う「縁起がいい」の元になったことばでもあります。

自分が「弱者だ」と見下している人にも,直接はわからなくても大きく支えられているのではないでしょうか?誰かを切り捨てることは,やがて自分にも跳ね返ってくるのではないでしょうか?今は安全なところから眺めていても,いつ立場が激変するかわかりません。「明日は我が身」とびくびくしながら過ごすのが,本当に心豊かな社会といえるでしょうか?

この世からいなくなってもいい,不要な人間というのは誰一人存在しません。ひとりひとりが,代わりのいない尊い存在です。自分の好きな人であっても,嫌いな人でも,会ったことのない知らない人でも,それは同じです。

僧侶の本分を守る

私自身,僧籍をいただいている身でございますので,お釈迦様の明らかにされた「縁起」をよりどころとして生きていきたいと考えております。苦しい立場におかれている人を排除することは,僧侶として,それ以前に人間としてふさわしくない生き方です。ボランティアをはじめとした,さまざまな社会貢献活動に積極的にかかわることが大切と感じています。ただし,こうした活動はあくまでプラスアルファと私はとらえています。自分が最低限,本来僧侶としてしなければならないことは何か,門信徒の方の大切なお寺をお預かりする責任を果たせているか,勉学布教を怠っていないか,ということを常に問い続けて参りたいと思います。

まとめ

・僧侶に求められる「世間を知る」とは,世の中で苦しんでいる,厳しい立場におかれている人の問題に関心を持ち,声をあげていくこと
・僧侶が知っておきたい社会問題
①貧困格差の問題
②非正規雇用の問題
・弱者を切り捨てる社会はいつか破綻する
・社会貢献は,お釈迦様が明らかにされた「縁起」をよりどころとした生き方のひとつ 
・僧侶の本分は確実に守る

いつもにまして長くなってしまいました。 次回の(6)では(1)~(5)までのまとめのまとめをしたいと考えております。最後までお読みいただき,ありがとうございました。

合掌

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