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ラピュタすごい

「天空の城ラピュタ」

改めて鑑賞して、名作パワーに打ちのめされた。
定期的にテレビで放送することは重要だった。

子供の頃から何度もみて、ジブリ作品のいくつかに関しては「100回みました」というのが大げさではない気がする。

今回のラピュタ鑑賞で特に心打たれたのは、ムスカに捕まったシータをパズーとドーラが救うシーンだった。

軍隊の城郭の高い塔の上に逃げてきたシータ。追っ手と炎が迫るなか、パズーとドーラがシータを救う。落ちたら命はないと感じさせる高さに加え、真後ろには炎が迫る。生命の危機にさらされまくっている状況のシータ。上空からのパズーの救いしか助かる道はない。

普通、こうしたシーンでよく見られるのは、助かりたいけど一歩踏み出したり飛びだすのが怖くて躊躇している人物と、その人物に対して「飛べ!」とか「俺を信じろ!」というようなことを叫んだりしてドキドキさせる演出が発生しがちだ。

しかしシータは違った。
空からの救出ワンチャンスに飛行艇から逆さまにぶら下がって手を伸ばすパズーに合わせて、迷いなくその身を空中に投げだす。その跳び方もまた儚い。水たまりをよけるように、軽やかにポンっと飛ぶ。

そして衣装もいい。ムスカに着せられた人身御供のような、生け贄のような真っ白な衣装で炎を背景にして跳ぶ。空中に身を投げたシータの背景は、砲撃により崩れかけて燃えさかる塔。白い衣装と炎の対比もにくい。やけに心に突き刺さった。

「天空の城ラピュタ」

他者に対しての全幅の信頼。こんな信頼の在り方が心に刺さるし、短期間でそんな関係を構築した若きシータとパズーの時間の豊かさも燃える。なんというか、例えは変だけど子犬のような無垢さというか、全力の信頼が切なくて強い。無条件っぷりにやられる。こんな信頼はあり得るし、あり得たい人生だ。

見るたびに刺さるポイントが変わっていくのは普遍性のある名作の証なのかもしれない。

そして名作は食事シーンが素晴らしい。
ラピュタもまた、ドーラとドーラ一家の食いっぷりに内臓が動かされる。要するに同じものを食べたくなる。

思い返すと、ジブリ作品においては食いっぷりが最高のシーンというのはいくつも思い出すが、それは善き人たちのためのものだった。善き人の食いっぷりに生命エネルギーがほとばしる。

逆に、いわゆる悪役の食事シーンが忘れられないタランティーノ監督の「イングロリアス・バスターズ」のランダの牛乳やクリームのシーンの例もある。食事は大事でした。

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