「天空の城ラピュタ」 改めて鑑賞して、名作パワーに打ちのめされた。 定期的にテレビで放送することは重要だった。 子供の頃から何度もみて、ジブリ作品のいくつかに関しては「100回みました」というのが大げさではない気がする。 今回のラピュタ鑑賞で特に心打たれたのは、ムスカに捕まったシータをパズーとドーラが救うシーンだった。 軍隊の城郭の高い塔の上に逃げてきたシータ。追っ手と炎が迫るなか、パズーとドーラがシータを救う。落ちたら命はないと感じさせる高さに加え、真後ろには炎が迫
勝海舟記念館に行った。勝海舟さんは洗足池にゆかりがあって、あのあたりに暮らしたらしい。最後のほうまで。しかし勝海舟は名言製造機というか、ゆるくて強い名言をいっぱい言っていて、人物像が伺える。勝海舟さんの実物大パネルがあったけれど、姿形、身体スタイルもキャッチーでオシャレだった。小柄なおもしろ兄さんみたいな。 たぶん小柄でおもしろい兄さんだったんだろうと思う。 しかし勝海舟っていう名前、できすぎてる。名前負けとかそういうレベルじゃない。ところで藤川球児さん、阿部一二三さん、朝
サバカン 日本の現代映画がこんなに面白いんだと希望にブチ殴られる傑作だった。この映画を見たら、もう長崎出身です。あんな夏を知ってしまったらみんな長崎出身になる。小学生の頃、夏は長かった。子供の頃、年上の女性は輝きまくっていたし、年上の男たちには圧倒的にかなわない目上感があった。 セリフも秀逸すぎた。 きんたまが、きえた。 きえた? …どこに? こんな奥行きのある言葉はない。聞くだけで元気になる。 そして、夏休みを全力で生きた小学生たちが素晴らしかった。俳優としてのプ
没法子。メイファーズ。これでいいのだ。 赤塚不二夫 ・雑文 変な聞き間違い。 「盗んだWi-Fiをお尻に隠してたんですか」 SF的でいい。正解は「盗んだ位牌を押入れに隠してたんですか」だった。これも物語が駆動しそうでいい。 冬の小道。おばあちゃんが散歩中に座り込んだ犬に「今が一番あったかい。言っとく。あとから怒んないなら帰ってもいい」と話しかけていた。散歩に疲れた老犬とおばあちゃん、かわいかった。 ・養老孟司と色んな人の対談 荒俣宏と養老孟司の対談。 凹凸(アクセント)
世界の問題に向き合うことと、自分の問題に向き合うこと。 この距離について。 教養をつけることは、自分の一人称視点に、三人称視点、俯瞰した視点を習得するようなイメージもある。しかしいくら俯瞰的視点を身につけも、自分の歯が痛めば、視点は一人称視点に戻される。 自分の歯が痛いのだから仕方がない。自分の歯は痛いけど、遠い海の向こうの問題を考える、こともあるだろうけど、それは簡単なことではない。 遠い場所の悲劇を想う。どうしたら自分の歯がズキズキ傷んでも遠い国の人々の悲しみに心を寄
ある教育的なコンテンツに接して膝を叩いて沁みいる。 歌や音楽は目と目を合わせなくても、そこにいる多くの人が心を近くすることができる。同じ場にいるだけでいい。だからこそ歌や音楽は人類の原初の段階から生活と共にあった。 歌の原初は子守唄であり、そこから大人のための狩りなど、困難を乗り越えるためのブースターとして機能してきた。ブースターといえば現代でも戦争と音楽は距離が近く、例えば軍歌による高揚感、そして出撃の時にかかる興奮剤として多用されてきた。国際試合で流される国家や甲子園
いちばん好きな食べ物は何かと思えば、みそ汁かもしれない。 NNNドキュメント「半透明のわたし」をみた。 様々な要因で生活が困難で、生活保護を受けている家庭の子供は大学に行くことを認められていないという。知らなかった。 番組に出演して自分の言葉で語っていた大学生の女性は、そのルールによって大学進学が困難になり、家を出て自分で働き、学費も生活費も払うという「保護」のルールの外にでて大学へ進学することを選んだ。しかし日本の大学の学費は未だに高額で、生活費と学費を自分で支払って
銭湯に行ったら少年とおじさんが湯船でなにやら真剣に話し込んでいた。 温泉や銭湯というのは心も身体もゆるむのが常で、なかなかシリアスにならないのが良いところだと思うので、その二人の妙なシリアスさはやけに目についた。妙だ。 しかし二人はただ、しりとりをしていただけだった。 しかもお笑いくくりルールだった。どうやらお笑いに関することだけでしりとりをするという設定らしい。なおさら何故、そんなシリアスなのか不可解だった。 所ジョージ、ジャルジャル、ルー大柴… おじさんは所ジョージの
「こころの時代」 口伝されてきた民話を聞き集めて記録する探訪を続けてきた民話採集家の小野和子さん。語りにより救われたり、その土地を歩く実感が変わったり。 民話には語り手の人生、先祖の切実な現実や知恵が蓄積されている。小野さんの民話採集の道のりそのものが民話のようだった。 物語に人間や自然の残酷さ、優しさが潜んでいて、実生活に響く。 自然のすぐ近くで、山や森、海や川と共に生きてきた人々によって語り継がれてきた物語。それは教訓だったり、悲劇を乗り越えるすべであったりする。
イマーシブシアター。参加、没入型。と説明される。 安全と刺激のバランス。「シアター」について考えてると、大袈裟に言えば、この公演にいったら、歯の一本や二本いくかも、とか、白い服は汚れるからやめとこうとか、そういうスリリングさが演劇とかの魅力の一つでもあるような気もする。 元来の祝祭性として。それでも観てみたいぞっていう。そういうことは年々できなくなるけども。なんかそういう色気、ヤバさについては考えたいテーマではある。昔、子供がサーカスみてトラウマになっちゃうとか、そういうこ
今日は猫の日。 猫は素晴らしい。かわいい上にさまざまな視点を与えてくれる。 そもそも猫という漢字すらかわいい。 寝る子だから「ねこ」という素晴らしい説がある。 寝ることは最も大切なことだ。ねこのようにひろいで寝られる状態を目指したい。お腹を上に向け、世界に己を開けっぴろげて眠る。 その姿を見るだけで、眠るような回復の効果を人間にもたらす。 猫には過去も未来もない。ただ現在があるだけで、その瞬間瞬間を生きている。これは岡本太郎さんもよく言っていた。「瞬間を生きる」 それが人
エドワード・ホッパーはアメリカの美術学校が合わずにパリに行ったという。 パリはちょうどキュビズムなどの運動が巻き起こっていたが、ホッパーはパリの街、橋や教会を描いていた。 パリは橋の下でさえ光にあふれていた、とホッパーは語っていたというけど、それはニューヨークのような電気に照らされた都市の光ではなく、街が人間と共に歩んで培ってきた人間くささと、夜の路地の暗さがあるからこそ引き立つ光のことだったのかもしれない。光だけだとドラゴンボールの精神と時の部屋みたいになる。あそこに色
職人業界のあるドキュメンタリーをみた。 職人業界の離職率の高さの問題を解決するために、ある左官業の会社は改革に乗り出した。 本来は修行をはじめてから5年しないと触らせてもらえなかったコテを初日に持たせ、丁寧に教える。動画を撮って、同時にベテランとの映像と比較して、すぐに上達していく新入社員。その新入社員は南アフリカから来た女性で、あっという間に壁を塗れるようになっていた。 最初は慣習から飛び出した取り組みに「ふざけんな」と反対していたベテランは、「俺が若いときはもっと苦労
国立西洋美術館 「パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展」 へ行った。 キュビズムという運動がセザンヌの大きな影響を受けていたと初めて知った。全くそうした連環を感じれていなかった。しかしセザンヌの世界からキュビストたちは大きな刺激を受けていた。面白い。思わぬところからプレゼントがある。というより予測していなかったところから何かを発見する刺激は人間の面白みの最たるところだと思えた。 重なる時代、タイミングの面白さ。キューブだからキュビズムで、チューブだとチュビズムという
安田登さんの孔子についての本を読んでいると「君子」と「小人」が出てくる。ことごとく自分が「小人」に当てはまる。すべきときを逃し、言うべきでないことを言う。 紀元前、もう2000年以上前から言われているダメパターンに停滞している。とはいえ、それを知れたのはラッキーだったかもしれない。 孔子はとにかく効く。それを残した弟子たちのセンスのよさ。子供によく聞く「大人になったら何になりたい?」という文句。だいたいは、その時に子供が知っている情報のなかから選択する。選択させられる。与
民話や怪談が好きで、よく調べたりする。古い建物に行ったときは「なにか不思議な話とか知りませんか」などと聞いたりするし、年配の方と話す機会があると、なんとなしに聞いてしまう。ところで軍隊などのクローズドサークルには怪談が多いらしい。もちろん軍隊は日常よりはるかに死の領域と近いし、自衛隊などは旧日本軍の土地をそのまま使っている駐屯地も近いので、様々な逸話があるという。 軍隊の訓練は飲まず食わずで歩き続けるとかも多いし、神経とか精神が研ぎ澄まされて、いわゆる「感知」しやすくなって