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雑文 赤塚不二夫〜養老孟司

没法子。メイファーズ。これでいいのだ。
赤塚不二夫

・雑文
変な聞き間違い。
「盗んだWi-Fiをお尻に隠してたんですか」
SF的でいい。正解は「盗んだ位牌を押入れに隠してたんですか」だった。これも物語が駆動しそうでいい。

冬の小道。おばあちゃんが散歩中に座り込んだ犬に「今が一番あったかい。言っとく。あとから怒んないなら帰ってもいい」と話しかけていた。散歩に疲れた老犬とおばあちゃん、かわいかった。

・養老孟司と色んな人の対談
荒俣宏と養老孟司の対談。
凹凸(アクセント)の減った顔。SF映画なんか観ても未来の顔は凹凸がなくなってノッペリした子供みたいというか能面みたいになる。彫りの深い渋い顔の未来人はあまり出てこない。

比較解剖学のポルトマン。
自己表現は顔と尻に出る。もともと睾丸は卵巣と同じ位置にあったが、外に出てきた。これは進化の中で自己表現として出てきたのかもしれない。虫のカラフルなお尻みたいな。犬は顔を認識すると同じくらいの分量でお尻を嗅ぐ。他者認識。

動物学と植物学。植物の「顔」はどこなのか。花を咲かせる植物の顔は花っぽい。花に顔を書いたキャラクターもよくいる。ならクスノキとかの木の顔はどこだろう。

養老孟司と南伸坊の対談。
学問は当世の当たり前、約束事から外に出て、何かを考えること。それが学問。外側と内側。江戸時代は戦国時代へのアンチテーゼで成り立つ。絶対的な統治システムへのカウンター。江戸はまずは死を隠すことによってシステムを構築した。死体の野晒しをやめてみた。社会で野晒しがなくなってから、まだそんなに経ってない。

養老孟司と丸谷才一。
吉田松陰なり、橋本左内也がいつ悟ったかは知らないけど、死ぬと言うことを非常に強く意識したのかもしれない。今のうちにやらなくちゃならないというモチベーションでやっていたら、やりすぎて時代に合わなかった。

ある時代の少年にとっては、老人と言うものがすごく魅力的に見えた。それでもっともらしい顔をして馬鹿馬鹿しく年寄りじみたことを言う。「童貞の男が悟りきったようなことを言って、人に説教をする。そういう少年がもてはやされたのは、文化の爛熟の極みだという感じがするんです。そういう少年がうまれ、もてはやされたこと自体が、まさに革命がなければならないことの証拠だったんですよ」

「社会と言うのは、年配の人間と若い人間とか遠慮しないで付き合ったほうがうまくいくんですよね。さっきからこだわるけれども、10代の若者が老成を気取って人を驚かすなんていう吉田松陰的なのはやっぱり良くないですね」

教養人たちの対談はおもしろい。


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