失物
あなたが産まれた時、私はこう思った。
あなたがいてくれるだけれで、私は幸せ。
産まれて来てくれて、有難う。
私を母にしてくれて、有難う。
少しずつ大きくなり、出来る事がどんどん増えるあなたが愛おしかった。
あなたはあなたのペースで成長してね。
心からそう思っていた。
なのに、私は欲張りだった。
あなたが成長するにつれ、周りと比較し、もっともっとと多くの事を望んでしまった。
あなたがいてくれるだけで幸せだと思っていた事を忘れ、あなたに無理をさせてしまった。
あなたが苦しんでいる事、SOSのサインを出している事に気付けなかった。
あなたを守れなかった。
本当にごめんなさい。
許される事ではないけれど、これだけは信じて欲しい。
私はあなたを愛していた。
生きていてくれるだけで、良かったの。
*****
「全く、小泉家の跡取り息子が自殺だなんて、恥ずかしくて堪らん。
お前のせいだぞ。」
息子が自ら命を絶った。
代々医者の家系である小泉家。
医大の受験の失敗を苦にしての自殺だった。
「医大に落ちる様な頭も、それを苦にして死ぬ様な弱い心も、お前の遺伝だな。
もっと優秀な女と結婚すれば良かったよ。
子供も1人しか出来なかったし、お前は本当に駄目な女だな。
年だから、もう子供は出来ないしな!」
夫はいつもこんな調子だ。
こんな夫から息子を守れなかったどころか、一緒になって息子に無理をさせていた事を、とても後悔している。
「もう恥ずかしくて、外を歩けない!
お前のせいだ。
責任を取って、出て行け!」
「それでは、ずっと家にいらっしゃったら如何ですか?
お望み通り、私は出て行きます。」
「何?
お前、今、何て言った?」
「責任を取り、離婚し、出て行きます。
どうぞ優秀で若い女性と再婚なさり、優秀で心が強いお子様を育ててくださいませ。」
「お前、1人で生きて行けるのか?
仕事も無い、金も無い、年を食っている。
謝るなら、今だぞ。」
「いえ、生きていけます。
私の事はどうぞお気になさらず。
離婚の手続きを進めましょう。」
「馬鹿な女だ。
財産分与は最低限だからな!」
「構いませんよ。
さ、離婚の手続きを進めましょう。」
*****
夫は私が一文無しだと思っているが、私には両親から相続した財産が有る。
両親は資産家だが、それを隠し、質素に生活していた。
妬まれない様、集られない様、謙虚に。
何も知らない夫は、そんな両親を貧乏人だと見下していた。
相続した財産は共有財産にはならず、全て私の財産だ。
だから、夫が手にする権利は無い。
でも、一文無しだと思われていた方が気楽だ。
大切な物を失った私。
この先、どうやって生きようかゆっくり考えようと思う。
息子が産まれた日、命を絶った日の事は、この先もずっと忘れない。
忘れてはいけない。
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