「怒り」は大事なエネルギー
私の旧頑張るエンジンは
あえて苦しみを選び、幸せにならないことで
母を困らせるという親への復讐だった。
そして親、家族、親族、世間への怒りをガソリンにする。
でもそれはもう、
今の私には必要ないのだと最近やっと悟り、更地を味わっていた。
私の新しいエンジンはなんだろう。
愛?
優しさ?
きっとそんな、美しいものかなと思っていた。
ここ数ヶ月、私は知人のコンサルを受けている。
今日もあーだーこーだ言わせてもらった時、
アクセルとブレーキの存在を教えてもらった。
どちらが見たい?と聞かれたので
今回はブレーキの方を見ることに。
ワークをしてもらい、
出会ったのは<肚の怒り>だった。
「うるさい!黙れ!やりたんじゃ!」
「やりたいからやるんじゃ!」
あーだこーだ言われても仕方ない。
だってもう私、やりたいんだから。
やりたいに、深い理由はなくていい。
どんなにダメでも、やりたいからやる。
それでいい。
私は最近、怒りを嫌なもの扱いしていた。
怒ったって意味がない。
だって怒りはゴールじゃないから。
いつまでも怒りに浸り、
(※私の場合、長いこと親への怒りの感情を手放せなかった。手放したら、復讐が終わるから。)
親への恨みや怒りをもうエンジンにしたくなかった。
そんな自分にうんざりしていた。
でも気がついた。
私は恨みと怒りを同じものにしていた。
だから怒りのエンジンはもういらん、と思っていたんだ。
怒りは私にとって大事なエンジンであり、
エネルギーだった。
親へ向けるのではなく、
もっと私や誰かの願いのために。
私の怒りエンジンの質が変わっていた。
肚にある怒りの絵を描いた。
怒りは力強く、光のようだった。
私の怒りは、汚いものじゃない。
これからもこのエンジンはあっていい。
そう受け止めたらなんだかほっとした。
「私らしいじゃん。」
おかえり、私の怒りのエンジン。
そしてそこへ
「だめでも、やりたい」という
本気の<やりたい>が乗る
現実がどうとか、思考を超えたもの。
これが魂の願いというやつなのかもしれない。
怒り+やりたいからやる=情熱
新しいエンジンの誕生だ。
燃えよ
あの空に燃えよ
明日なんか来ると思わずに燃えよ
藤井風さんのフレーズが聴こえてきた。
きっとそんな感じなのだろう。
自分を生きてアートとする
スタイルメイカー・安堂むう