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気遣いはきっと心に残るから

研究で大変お世話になった客員教授さんとのお食事会でのことです。


私は当たり前のように最後のお礼にとお気に入りのお菓子を手土産にお渡ししました。お菓子は日本でたった2店舗しかない、ワイン好き・バター好き・お菓子好きのわたしにはたまらないバターの旨みぎゅっと詰まったレーズンクッキー。私の好みを押し付けるような形ですが美味しいものを共有したいんです。もちろん、相手や場合に合わせて相応しいと思うものを選びます。

渡したお菓子のことは置いておいて、私にとってこうやって手土産を持っていくことは “あたりまえ” のことなんです。それを客員教授さんはあたりまえと捉えていなくて「みずさんってとても気遣いしているよね」と言って頂きました。

私の母と特に祖母が、幼い頃から礼儀・作法・マナーを叩き込んでくれたお陰なのですが、わたしにとってあたりまえなのです。(というもののこれを母に話したら「え?そんな子だったの?」と言われました。じゃあ私は誰の子でしょう…?笑)


小学生の時、友達の家に遊びに行く時は必ずお菓子を持っていく。年上の方・お世話になった方の所へは手土産を持っていく。彼氏の家に行く時にも必ず母と手土産会議をしてお菓子を持っていく。そんな私には何時でも手土産を帰るように、生活圏内で買えるお菓子リストがあります。最寄り駅、大学近くの横浜駅、その他大きい駅もいくつか。定番からお気に入りまで、和洋と幅広く。

客員教授さんとのお食事の時も、当たり前に、なんとなく好みを考え、連れて行っていただく場所と自分の立場から「申し訳ない」と思われない素直に嬉しく受け取って頂けるようなもので、私が大好きなお菓子を選んでお渡ししました。あとは箱が素敵に見えるものを選びました。見た目って大事だから。

それを「気遣いしてるよね」と言って頂きました。そんなつもりはないんですけど。そこで「これって私以外の人にとってあたりまえじゃないんだ」と分かりました。


確かに気遣いって誰にでもできるものじゃない。そして何時でもできるものでもない。

自分に余裕があって、他人を思いやる気持ちがあって、そしてなにより気づかないとできない

私ももちろん、たくさんできるわけじゃない。気づかないこともたくさんある。でもその私の小さな気遣いに気づいて、「ありがとう」って言ってもらえて、とっても嬉しいな〜と思います。気遣いってされた側は心が「ぽっ」とあたたかくなるし、返してもらった「ありがとう」に気遣いした側も「ぽっ」と照れながら嬉しくなる。


気遣いは当たり前じゃないって知っている
そんな気遣いに気づいてもらえた


思えば「気遣い」と「気づく」ってとても似ている。
どちらかが鈍感すぎると「気遣い」は生まれないし「気づく」こともしてもらえない。


手土産を持っていくなんて、とても些細なことかもしれない。でも、その些細なことに「ありがとう」と言って頂いて、その気遣いにすこしでも「ぽっ」としたあたたかさが胸の中に残っていたら嬉しいなと思う。

こんなふうに育ててくれた母や祖母に感謝です。

そして客員教授さんにもお菓子を気に入っていただけたら嬉しいです。


◇◆◇


そういえば、似たようなことが前にもありました。自分の “小さな気遣い” にどこかで救われているのかもしれません。

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