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「繊細すぎるよ。治さないとだめだよ」でも私は絶対に繊細であり続ける

「繊細すぎるよ。生きるの大変だね」
「その繊細さは治さないとやっていけないよ」

前の職場の上司のことを悪く書くのはなんか嫌だけど、ズバッと久しぶりになんでもないように刃を突きつけられた感覚は、そろそろ瘡蓋にはなっただろうか。

その職場にはもう居たくない

そう思い逃げ出して2ヶ月半


それでも私は繊細であり続けると、言われたその場で誓った。

言わば人格否定だと思うその言葉を、大事に抱えておく必要は無い。そのことをようやく学んで実行できた私だけれど、悩む人は多いと思う。

繊細すぎる性質のこと。


これが無いと私の人生は半減してしまうと思う。だから繊細すぎると悩む人も、繊細だからこその良い部分があるのだから捨てないで欲しい。

HSPに多いと思うこの性質は確かにタチが悪い。ネガティブに使われることのほうが圧倒的に多い。

大きな音、些細な音、光、香り、感触。
さらには人の態度や、言動、声音、仕草なちょっとの間のとり方でさえ、

あれやこれやと頭をめぐらせることばかり。
それらの情報はどうしてもネガティブにいってしまう。

ポジティブはキャッチするのが難しい。
些細なことに気づいても「あっ」と何かあれば頭の中から吹き飛んでしまう。ゆっくり味わいたいのにそんな暇すらない。

だからやはり、ネガティブばかりに目がいってしまうと思う。


でもやっぱり繊細さ、私は感性とも言い換えたいこの性質があるから私は私であって、かける記事もあるとつくづく感じる。

毎日記事を書く私は、何も感じなければすぐにネタが尽きてしまうだろう。でもかれこれ300日を超えた。300個のネタがあるから続けられたんだと思う。

毎日なにかが起こるわけじゃない
毎日感じられる何かを目にできる訳じゃない
なんならルーティン化された日々は同じことの繰り返しのはず。

それでもこれだけ書き続けられるのだ。

それはアンテナが敏感にキャッチするからだと思う。普通の人ならスルーしてしまうこともしっかりと受け取って、感じて考えて、書くことができる。

これは鈍感ではできるはずない
いかに日々、外にも内にもセンサーを張っているか伺えると思う。私にはそんなつもりは無いけれど、日常から掴んでくるから、きっとそうなのだろう。


鈍感であったなら、

彼の些細な優しさや気遣いも
パン屋さんのほっこりするバターの香りも
川辺をあるく微笑ましい親子も
ご飯からたつ湯気とその香りや花の蜜の香り
陽の光、影の美しさも

感じられないんじゃないかと思う。
そんな生活楽しいのだろうか。

この素晴らしさを知ってしまった私にとって、そんな生活楽しくない。彩りがない。無彩色を生きているみたいだ。

繊細だから私の世界は鮮やかなんだと思う。

だったら、大変なことの方が圧倒的に多いかもしれないけれど、繊細でいたい。そうじゃないともったいない。

だから私は繊細であり続けたい。
感じる心に蓋をしたくない。
自分の持つ感性を大切にしておきたい。

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