バターチキン 【2】 インドでの食べられ方と食器の差
日本で「バターチキン」の美味さに開眼した私は、その後インドを訪れた際も行く先々でたびたびバターチキンを求めるようになった。今考えると当然なのだが、インドのバターチキンは日本のそれとはだいぶ異なる。何よりもまず違和感があったのが、日本とのボリュームの差だった。
基本的に一人前の料理を前提とする日本では、ナン一枚かせいぜい二枚分のバターチキンしか提供されない。しかしインドのレストランで出されるバターチキンはその優に二倍はあろうかという分量。しかも鍋のように大きなインド皿からあふれんばかりになみなみと注がれている。かといってインド人がみな大食いというわけでもなさそうだ。
基本的にインド人がちょっと高めのレストランに行く場合、単独での訪問はまずない。たいてい友人か、最近では家族と共に訪問する。屋台や安食堂では単独で食べているインド人が多いが、基本的にレストランはハレの場であり、仲間や家族とワイワイいいながら食べる場であると認識されている。提供される料理のポーションは、あたかも日本の鍋料理のごとくシェアされることを前提にしている。一人旅の旅行者にはこれが第一関門かもしれない。一人前が食べたいのに、鍋料理が出てきてしまうのだ。
周囲のインド人客を注意深く観察しているとわかるが、彼らのテーブルにはなみなみとバターチキンが入った巨大なカレー皿とは別に、直径30センチ前後の平たいターリー(プレート)が置かれている。これはいわば取り分け皿である。
彼らはバターチキンやその他の料理を複数でシェアし、それぞれのカレー鍋から各自のターリーによそい、そこにめいめいのナンあるいはライスを入れて混ぜ合わせて食べ進めている。一方、日本では提供されるポーションが一人前であることから、提供されたカレー皿に直接スプーンを刺すか、あるいはナンをディップして食べるケースが多い。
このレストランでの食べ方に、インドの食事方法の特徴が色濃くあらわれている。世界どこでもそうであるように、インドの家庭でもおかず類は鍋類で作られる。鍋類にはカラーヒーやハーンディーがある。カラーヒーとは中華鍋のような半球状の形状で、ハーンディーとは首のすぼまった、平べったい壺のような形状をしている。材質は現在では鉄やアルミ、ひと昔前までは銅や真鍮製が多かった。家庭の女たちはかまどの上で煮炊きしたおかずを、カルチと呼ばれるお玉を刺してそのまま食卓、または床の上におく。この鍋の中のおかずを取り囲むようにして座った家族は自ら、もしくは母や妻の手によってめいめいのターリーに取り分け、ライスやチャパーティーなどと共に手で混ぜ合わせて食べていく。これが一般的なインドでの日々の食事風景である。つまりレストランでの食べ方、提供の仕方は、このような一般家庭での食事スタイルに基づく。
バターチキンが入ったカレー皿も、カラーヒーやハーンディーといったインド家庭の伝統的な鍋類と同じ名前で呼ばれる。インド人は料理を作る鍋類そのものに食欲を強く刺激される、あるいは理想的な調理のあるべき姿といったものを投影しているようで、例えば「カラーヒー・チキン」だとか「ハーンディー・ゴーシュト」など、素材と食材名を組み合わせてメニュー名にしている。あたかも鍋類の名前を付ければ正しい調理法を経て作られた美味しい料理である、といわんばかりだが、これなどもやはり日本の鍋料理と共通するところがある。日本でも鶏鍋、しし鍋などというからだ。
とはいえもちろん、無骨なリアルな鍋類をそのまま白いクロスのかかったレストランのテーブル上に出すようなことはしない。出されるのは、実物に精巧に似せて作られた、ある種のレプリカである。それも外側に銅版をあしらい、表面には槌目加工がほどこされたゴージャス版で、これはヨーロッパのアンティーク調食器を模したものである。つまり現代インドのレストラン食器は、従来のインド調理器具文化と西洋アンティーク文化とが融合されて完成されたものといえる。
一方日本では、カレーを鍋料理のようにして食べるという習慣はない。日本にカレーライスが伝わった昔から、基本的にカレーとは一皿料理である。店に何人で行こうがポーションは一人前が基本だし、カレー皿も一人につき一皿だけ。おそらくこれを踏襲して、のちに誕生したインドレストランもシェアではなく一人前を前提とするのだろう。だからバターチキンを頼んでも取り分け用のターリーは付かず、ナンの場合は適度なサイズに手で千切ってディップ、ライスの場合はスプーンですくってライス皿に直接かけて食べるスタイルが今でも主流だ。このように、食べ方や食器の使い方一つとってもインドと日本では大きな違いがある。
そんな食器文化の違いを感じつつ、運ばれてきたバターチキンを頬張ると、そこには食器以上に大きなカルチャーショックが待っていた。