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チャイ【1】 輪廻転生するチャイ

インド食器屋「アジアハンター」の店主・小林真樹さんが、食器買い付けの旅や国内の専門店巡りで出会った美味しい料理、お店、そしてインドの食文化をご紹介します。




喧騒と混沌のインドに降り立ち、人の波をかきわけながらヘトヘトになって旅を続ける。リキシャーとの交渉ではボラれ、怪しげな旅行代理店にはボッタくられてすっかりインドに疲れてしまった旅人を癒すのが「一杯のチャイ」だろう。小さな露店のベンチに腰掛け、カップ一杯の熱いチャイを啜りながらわずかに残った気力をふり絞り、その日一日のインドとの格闘を誓う……。これが一昔前のインド旅行記にしばしば登場する、ステレオタイプな風景描写である。

チャイ。それは今やインドを象徴する、さながら国民飲料とでもいうべきドリンクである。インドの街なかに分け入れば、たとえそこがどんな辺鄙な田舎であってもチャイ屋は必ずあり、ヒマそうなおじさんたちがズスッと啜っている姿はおなじみの光景といってよい。

インドを歩けばチャイ屋にぶつかる
インドを歩けばチャイ屋にぶつかる


もちろんチャイはおじさんのような庶民層だけのものではない。上流階級たちも、かつて自分たちを支配していたイギリス人よろしく白磁のティーカップにソーサーを持ち、ソファーに腰掛けながら優雅な午後のチャイ・タイムを楽しんでいる。その一方で、道ばたでの路上生活者がどこからか集めてきた木っ端や乾燥させた牛糞を燃料にしてチャイを沸かしている。とりわけ冬場の北インドはことのほか寒い。彼らにとって温かいチャイは、空腹をまぎらわす上でも暖をとる上でも不可欠な一杯なのだ。

このようにセレブからホームレスまで、また年寄りから子供まで、宗教・カースト・年齢・性別の差を超えて、皆等しく一律にチャイは好まれる。このような光景を見て旅人は思うだろう。「さぞインドとは太古の昔からチャイを飲んできたに違いない」と。しかしあにはからんや。チャイはインドにとって歴史の実に浅い飲料なのである。中には伝統を装った風にみせている店もあるが、すべからく偽装である。インドにここまでチャイが浸透したのは20世紀に入ってからで、それもイギリスによる熱心なプロモーションによって「開発された」ものなのだ。

よく知られているように、イギリスは「紅茶の国」などと呼ばれている。とはいえインドに喫茶の習慣を植え付けたそのイギリスでさえ、欧州の中では茶の伝播は比較的遅い部類に属する。さらに導入された初期から現在に至るまで、イギリスにおいて茶葉は国産品ではなく輸入品一辺倒である。

イギリス流にカップ&ソーサーで出されるチャイ
イギリス流にカップ&ソーサーで出されるチャイ


ヨーロッパへの茶の流入は、海外進出ではイギリスに先行していたオランダが17世紀、中国や江戸時代の日本から輸入したのが嚆矢とされる。当初は高価な嗜好品として、上流階級の間で広まった。イギリスも後追いで貿易に参加し、茶葉を中国から輸入するようになる。やがて国内の喫茶人口の増加にしたがい輸入量もまた増加していったため、中国産ではなく自国領内での茶葉生産はイギリスにとっての悲願となった。そしてついに19世紀、イギリス人事業家によりインドのアッサム地方で自生の茶樹が「発見」される。こうしてインドでの茶葉生産がはじまる。当初はイギリスへの輸出品目だったが、次第に販路拡大のため、当時茶を飲む習慣の全くなかったインド国内向けにも販売が試みられていくことになる。

当初イギリスは茶葉だけでなく、インド人に「格式高い」紅茶の飲み方をも教え込もうとした。図入りのポスターを作り、ブリティッシュ・スタイルの正しい紅茶の淹れ方、飲み方を啓蒙しようとする涙ぐましい努力の跡が見られる。この辺の経緯は、専門家である村山和之先生の論考『インド紅茶史外伝-鉄道駅のポスターにみる「チャーエ(チャイ)」誕生の兆候』(和光大学表現学部紀要)に詳しい。

こうしたブリティッシュ・スタイルのともすれば強引な押し付けを、しかし当のインド人たちは頑なに拒絶した。エクセレントなイギリス的な味わいと、ティー・タイムにおけるエレガントな立ち居振る舞いの「指導要綱」に対し、香辛料やショウガを入れて「インド人の舌に媚びた」ものに作り変えてしまったのだ。チャイの誕生である。これにはイギリス人もびっくりだったが、時が流れ200年にも渡る長期植民地支配が終わったイギリス本国で、インド式のチャイが「マサラ・ティー」の名で広く親しまれるようになっている現状は諸行無常の感がある。

ロンドンではマサラ・ティーが広く親しまれている
ロンドンではマサラ・ティーが広く親しまれている


「ガチ中華」という流行りのワードに象徴されるように、「本場と同じ味」がとりわけ好事家の間で昨今注目を集めている。その一方で、ラーメンやカレーライスのような日本独自に進化した料理はスタンダードとして、もはやそのルーツを意識することなく、まるで古くからある日本料理のように認識されている。インドでも同様で、都市部には「オーセンティック」であることを謳う飲食店が近年増えつつあるが、元来インド人とは食べものだけにとどまらず、あらゆる外来文化をインド流に魔改造してしまう人たちでもあり、その頑固さがチャイのありように濃厚に反映されている。イギリス流の啓蒙をものともせず、自らの舌にのみ合わせてチューンされたチャイは、もはやインド料理の立派な一部を形成している。そしてそれ自体がオーセンティックな存在となり、イギリスに逆輸入されるまでに至っている。それは元来イギリスから伝わった日本式のカレーが、イギリスの一部で「カツカレー」の名で愛好されている現状とよく似ている。まさに食の輪廻転生である。

イギリスから押し付けられたミルク・ティーを自らの強固な意志でチャイに作り変えてしまったインド人。甘くて風味に満ちたその一杯は、インドの旅の情景を思い起こす必須のアイテムである。しかし広大なインドにはわれわれの想像のななめ上を行くチャイの種類や飲み方、楽しみ方が存在する。アッサムやダージリンなど東インドの清涼な山中で育てられた茶葉はイギリス人の必死の啓蒙にもかかわらず、煮出して鍋の中でスパイスとミルクを混ぜ合わせる独自の飲料「チャイ」が生まれた。しかしこのチャイとて決して単一の淹れ方、飲み方ではないところがインドのインドたる所以である。南にいけば南の、西に行けば西の淹れ方や飲み方がある。インド各地のチャイ沼に、さらに奥深く入り込んでいきたい。








小林真樹
インド料理をこよなく愛する元バックパッカーであり、インド食器・調理器具の輸入卸業を主体とする有限会社アジアハンター代表。買い付けの旅も含め、インド渡航は数えきれない。商売を通じて国内のインド料理店とも深く関わる。
著作『食べ歩くインド(北・東編/南・西編)』旅行人『日本のインド・ネパール料理店』阿佐ヶ谷書院
アジアハンター
http://www.asiahunter.com/

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