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チャパティ【1】 チャパティと緑の革命

インド食器屋「アジアハンター」の店主・小林真樹さんが、食器買い付けの旅や国内の専門店巡りで出会った美味しい料理、お店、そしてインドの食文化をご紹介します。



地平線まで続く黄金色に輝く麦畑。その中を、ターバン姿の屈強な男たちがTATA社製の巨大トラクターで縦横無尽に駆けめぐる。北インドの一大穀倉地帯、パンジャーブの収穫期の風景である。ここで収穫される小麦粉(アーター)こそ、北インド人の日々の食生活に欠かせないチャパティの源泉となるのだ。

見渡す限りのパンジャーブの平原


冬作物の小麦は、乾季に入る10月から11月にかけて播種され、約5か月たった春先に一斉に収穫期を迎える。インドではこの期間を「ラビ」と呼び、小麦のほかマスタードやゴマなどの作物が植えられる。現在インドの小麦生産量は世界第二位を誇り、ウクライナ戦争勃発前までは世界第三位の輸出大国でもあった(戦争勃発後、国内需要を優先するためインド政府は原則的に輸出を禁止した)。この圧倒的収穫量により、北インドの人々は日々何不自由なくチャパティを焼き、ギー(精製した発酵バター)を塗って豊かで美味しい食生活を謳歌している。

しかし、今日のような豊かな北インドのチャパティ・ライフを、今から約60年前に一体誰が予測出来ただろう。当時インドは深刻な食糧危機に陥っていて、それを救ったのが「緑の革命」と呼ばれる国際的な農業技術改革だった。さらに改革の元となった農業技術の一つに、日本で開発された小麦品種が少なからず関与していることを知る人は少ない。

北インドの大衆食堂で焼かれるチャパティ


イギリスから独立直後の1960年代、インドは急激な人口増加に加えて旱魃などの気候変動が重なり深刻な食糧危機に瀕していた。政府は国際社会に救援を要請。すると1950年代に同様の食糧危機に陥っていたメキシコで、先行して成果を上げていた小麦品種がインドにも導入されることになった。この品種はロックフェラー財団の後援による米国人ボーローグ博士を中心とした研究者チームによって開発されたものだが、元をたどれば戦前の日本の農業試験場で農学者・稲塚権次郎博士の主導のもと開発された「農林10号」とメキシコ在来品種の交配種だった。農林10号は日本在来品種を祖とする、風雨に強い茎の短い品種で、その農業技術が敗戦によって米国政府に接収されたのだった。

食糧危機のメキシコを救ったこの新型交配種はインドに導入され、その後ボーローグ博士の共同研究者だったインド人農学者スワミナータン博士らによってインドの風土に合うようさらに改良がほどこされて当初、パンジャーブ州を中心に播種された。

この新品種の生産能力はすさまじく、1963 年から 1967 年のわずか 4 年間で収穫量は倍増。小麦の輸入国だったインドは数年のうちに完全自給を達成。さらに土壌の改良、灌漑の充実、肥料の開発、電動ポンプによる地下水の汲み上げ、トラクターなど農具の機械化などの農業改革が進んだ結果、小麦の輸出国へと逆転し、その後2020年代にかけて世界第三位の小麦輸出大国へと昇りつめていくのである。

パンジャーブをはじめとする北インドでは、冬作物である小麦を播種しない、夏場の期間中に米作をするようになり、もともと米食習慣のあまりなかった北インド人の間に日常的な米食文化を根付かせた。さらに政府による余剰穀物の買い上げによって貧困層を対象とした配給制度や公的備蓄も拡充することとなった。

この一連の世界的な農業改革は「緑の革命」と呼ばれ、インドやパキスタンをはじめとする世界中の人々を貧困から救ったとしてボーローグ博士らに1970年ノーベル平和賞が贈呈された。ちなみに北インドで小麦の「緑の革命」が進行していた同時期に、南インドでは米の「緑の革命」が進行していた。この時導入されたIR8米という改良品種(IRとは「インド・ライスの略称」)も、実は戦前の日本統治下の台湾に置かれた農業試験場での研究がかかわっている。その話はまた別の項で紹介したい。

80年前の電動製粉機を現在も回す製粉屋


かくしてインドは世界有数の小麦大国となり、人々は飢えることなく日々のチャパティを食べられるようになった。チャパティだけではない。パラーター、サモサ、プーリーからナン、クルチャー、バトゥーラまで、北インド人の食生活にとって不可欠な小麦料理を謳歌している。ただし統計をみると、例えば1950年代のインドの穀物生産は米(40%)雑穀(30%)小麦(12%)という順だったが、1980年代になると米(40%)小麦(31%)雑穀(17%)と小麦と雑穀が逆転している。つまりこのデータからは、1950年代のインドでは、小麦よりも雑穀が多く作られていたことを示唆している。北インドは小麦文化圏といわれるが、「緑の革命」以前までは雑穀食がかなりの比率を占めていたことがわかる。

製粉前の小麦粒


バジラ(トウジンビエ)やコド(シコクビエ)といった、灌漑設備の行き届かない悪環境でも育つ、値段の安い雑穀しか口に出来なかった層も「緑の革命」以降は日常的に小麦を食べられるようになった。その一方で、豊かになった食事により肥満や成人病が急増したことから、ここ数年は雑穀食が政府の肝いりで見直されてもいる。しかし既に多くの雑穀農家が小麦農家へと転換した今、かつて安物の代名詞だった雑穀を作る農家は減り、そのため雑穀が希少となって価格が高騰するという皮肉な現象も起きている。また「緑の革命」以前に育てられていた、カプリ、バンシ、カティア、ロクワンなどの生産性こそ低いもののインド在来である小麦品種が近年見直されつつある。チャパティをこねる風景に象徴される、一見伝統的に見える北インドの小麦食文化だが、農業技術改革とその反動も含めて、構成する成分は近年急激に変化したものとなっている。






小林真樹
インド料理をこよなく愛する元バックパッカーであり、インド食器・調理器具の輸入卸業を主体とする有限会社アジアハンター代表。買い付けの旅も含め、インド渡航は数えきれない。商売を通じて国内のインド料理店とも深く関わる。
著作『食べ歩くインド(北・東編/南・西編)』旅行人『日本のインド・ネパール料理店』阿佐ヶ谷書院
アジアハンター
http://www.asiahunter.com

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