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チャイ【2】 甘くないチャイ

インド食器屋「アジアハンター」の店主・小林真樹さんが、食器買い付けの旅や国内の専門店巡りで出会った美味しい料理、お店、そしてインドの食文化をご紹介します。



「甘くて熱い濃厚な一杯」
われわれはチャイをそのようなものだと認識している。イギリスがインドにミルクティーを伝えた頃、すでにイギリス本国では紅茶にミルクと砂糖を入れて飲むのが当たり前だった。インドのチャイの祖型はこのイギリスのミルクティーである。

とはいえチャイの源流となったイギリスでも、最初から紅茶はミルクと砂糖入りで飲まれていたわけではなかった。茶の発祥地の中国や、隣国のため世界的にかなり早い段階で伝わった日本においても茶に甘味を付けたり、ミルクを入れて飲むことは今でもない。そしてこのストレートで飲む飲み方は、茶を輸入しはじめた初期のヨーロッパ諸国でも踏襲されていた。つまり17世紀初頭、イギリスに先行して海外進出の先鞭をつけていたポルトガルやオランダが中国から茶葉を輸入したのがヨーロッパに茶が伝わった端緒だが、その初期段階において茶にはミルクも砂糖も加えられていなかったのだ。

紅茶に砂糖を入れる飲み方は、17世紀半ば、ポルトガルのブラガンサ王朝からイギリス王室に嫁いできたキャサリン妃が伝えたといわれる。自国領のブラジルでサトウキビ栽培していたポルトガルには、砂糖をこのように使う文化があったのだ。さらにイギリスに伝わった紅茶は渋み(タンニン)が強かったため、やがてミルクも加えて中和する飲み方が開発された。ロイヤルミルクティーの誕生である。

インドのチャイもこれに倣ってミルクたっぷり、甘いものが主流である。インドを訪れる旅行者も早々とこの洗礼を浴びるだろう。早朝、まだ薄暗く喧騒がはじまる前のバザールの一角で営業している屋台で飲む朝の甘い一杯は格別だ。ただしインドで飲むチャイが全て甘いと思うのは早計だ。インドには「甘くない」チャイもまた存在するのである。

中でもカシミール地方を中心に飲まれる、砂糖ではなく塩で味付けしたナムキーン・チャイは有名である。別名ヌーン・チャイ(ヌーン」はカシミール語で塩の意味)とも呼ばれるこのチャイは、見た目はきれいなピンク色をしている。茶葉を重曹(ベーキング・ソーダ)と共に煮出すことで赤茶色の原液が出来、そこに白いミルクを投入することで鮮やかなピンク色になるのだが、何も知らないで飲むと、そのイチゴ牛乳のような色味からは想像がつかないほどの強い塩味にびっくりする。ただし慣れてくると、何ともいえない風味とコクとが相まってやみつきになる。とりわけ寒い冬場に飲むナムキーン・チャイは身体が温まる(塩で血圧が上がるからだとか)。

冬に飲むナムキーン・チャイは格別
冬に飲むナムキーン・チャイは格別


「チャイは甘いもの」という固定概念があるわれわれにとって、塩味のチャイは慣れないうちは戸惑う。カシミールは地理的に近いチベットから文化的影響を受けているが、そのチベットには中国内部から陸路伝わった茶葉にバターを入れて攪拌するバター茶を飲む文化が古くから存在する。チベットの喫茶文化の源流となったのはおそらくモンゴルだろうが、そのモンゴルには茶に塩とミルクを入れる文化がある。つまりカシミールの喫茶文化はイギリスが啓蒙しようとしたミルクティー文化とは別ルートかつ、時代的にももっと早い時期に喫茶文化が伝わっていたのだろう。ちなみにチベットのバター茶は、嗜好品というより食事としての汁物に近い。実際、チベットの人たちはこの茶にツァンパと呼ばれる麦こがしを混ぜて一つの食事にしている。

ドンモという攪拌器で作られるバター茶
ドンモという攪拌器で作られるバター茶


カシミールに限らず、インドから西アジアにかけて、広く乳製品に塩を入れる味付けが見られる。ヨーグルト飲料であるラッシーも、砂糖ではなく塩を入れる飲み方がある。乳製品に塩という組み合わせは日本人にはなじみが薄いが、インド以西では一般的で、慣れてみると確かに長く伝統化するだけのことがわかる美味さがある。

インド中部、マッディヤ・プラデーシュ州のボーパールには、カシミール同様「ナムキーン・チャイ」という呼称の飲み物がある。ただし同じ名前でも淹れ方が違う。ボーパールではまずパティーラーと呼ばれる平鍋で熱せられたミルクをカップに注ぎ、その上に蛇口のついたサモワール(給茶器)で熱した茶葉の抽出液を注ぐ。この抽出液にはあらかじめ砂糖と少量の塩が入っている。さらにパティーラーの表面に浮いたマラーイー(熱せられて表面に浮いた膜)を少しだけすくってカップの上に置く。味はというと、まず表面に浮いたマラーイーの風味と茶葉の香ばしさと薄い苦み。そしてかすかな塩味でブーストされた砂糖の濃厚な甘み。スイカに塩を振るがごとく、甘いチャイに塩を混ぜることでその甘味を際立たせるというテクニックがあることを、私はボーパールで初めて知った。

ボーパール名物のナムキーン・チャイ
ボーパール名物のナムキーン・チャイ


一つの鍋の中で茶葉とミルクとを同時に沸かすのではなく、ボーパールのように茶葉の原液とミルクとを別々に熱し、カップの中で合流させる淹れ方は西インドから南インドにかけて広く見られる。これもまたチャイの現地化である(南インドでは名称からして「チャイ」ではなく「ティー」と呼ばれる)。特に南インドには、金属製のカップとソーサー(タンブラーとダバラ)の二つを両手で持ち、交互に移し替えることで茶葉の抽出液とミルクとをスプーンを使うことなく攪拌させる技法がある。古くからのタミル移民を介してこの攪拌技法は東南アジアのマレーシアに伝わり、現地ではこうして作られたミルクティーのことを「テ・タレ」と呼び、親しまれている。マレー語で「テ」は茶、「タレ」は引っぱる、つまり攪拌時に左右の手に持った容器に交互に移し替える様が引っぱるように見えることからこの名が付けられたという。今ではマレーシア全土で愛飲されているドリンクである。

マレーシアのテ・タレ
マレーシアのテ・タレ


一方、同じインド系移民でもカリブ海諸島に住む人たちの間にはチャイを飲む習慣がほとんどない。彼らの遠い先祖は現在の地理区分でいう現在のビハール州周辺を出自としているが、移民として渡航してきた年代がイギリスがインドにミルクティーを伝えた時代よりも前だったため、初期の移民はチャイを知らずにやってきた。その末裔である現代のインド系移民の間にもチャイを飲む文化は発生しなかったのである。このように、今やチャイなしには語れないほど浸透したインドだが、飲料としての歴史は思いがけぬほど浅いことが、インド以外のインド人居住区を旅することでわかる。








小林真樹氏

小林真樹
インド料理をこよなく愛する元バックパッカーであり、インド食器・調理器具の輸入卸業を主体とする有限会社アジアハンター代表。買い付けの旅も含め、インド渡航は数えきれない。商売を通じて国内のインド料理店とも深く関わる。
著作『食べ歩くインド(北・東編/南・西編)』旅行人『日本のインド・ネパール料理店』阿佐ヶ谷書院
アジアハンター
http://www.asiahunter.com/

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