【旅の休憩所⑥】私が知らない父の顔と、先祖探しの「最初の一手」
仕事帰り、東京駅近くのカフェで田村さんと会い、家系図のコピーを見てもらうことにしました。ずっとメールや電話でのやりとりだったので、会うのは久しぶりです。
「へぇ、本当に『応仁の乱』って書いてあるね。聞いたときは、ホントに?って思ったけど」
田村さんは、感心したように言いました。
▼父は、家系図のことを知っていたのか?
曽祖父の作った家系図を目にして以来、私はずっと疑問を抱いていました。
父が亡くなる直前、私に言った言葉が、あの家系図に関係しているように思われたからです。
「応仁の乱が大事なんや。・・・あのとき京都と奈良の僧兵が・・・興福寺の・・・」
京都のおじによれば、筒井順慶は「興福寺の僧兵」です。
そして曽祖父によれば、筒井順慶について書かれた昔の家系図は、「応仁の乱」で燃えてしまった。
父の言葉に、ぴったりと符合します。
これだけみると、父はこの家系図のことを知っていて、私が帰省したとき、流行していた応仁の乱にかこつけて私に講釈を垂れた、と考えるのが自然なのかもしれません。
でも私は、両親のどちらからも、母方の古いご先祖の話なんて聞いたことがありません。
それに、父は奈良市内で生まれ育ったから、京都の母方とはあまり関係がないはず。ましてや、母がまだ子どもの頃に亡くなった曽祖父がのこした家系図について、父が知っていたとはどうしても思えないのです。
じゃあ、父が応仁の乱について語ったのは、当時、応仁の乱がブームだったからで、単なる偶然にすぎないのか。
そう言い切るのにも、ためらいがあります。実は、父が数年前、母が亡くなる前に話していた言葉が、私の心にひっかかっているからです。
「こないだ、W町(母の故郷)のおじさんの家に行ったとき、俺が着ていたジャンパーをあげたら、喜んで着ていたよ」
それを聞いた私は、
「なんでわざわざ、父がW町にひとりで行くんだろう。おじさんって誰? 妙に親しげだなぁ」と違和感を覚えましたが、特に興味もなかったので、そのままスルーしてしまいました。今から思えば、あのとき父にちゃんと聞いておけばよかった。
ささいなことに思えるかもしれませんが、実は、そのときの父の言葉には、大きな意味がありました。
結論をいうと、父は、母方のルーツと大きな関わりがあったのです。
だから、父がこの家系図のことを知っていたとしても、不思議ではありません。もしかすると、父が母と結婚した時点で、すでに知っていたのかもしれない。
ただ、私がそのことを知ったのは、それからだいぶ時間がたってからのことでした。
母だけでなく、父のことも、私は何も知らなかった。
二人が亡くなったあと、時間がたつにつれて、私はそのことを痛感することになりました。
▼ご先祖探しの定石とは?
「これから、どうしたらいいんでしょうか」
私は、飲みかけのコーヒーを前に、田村さんに尋ねました。
自分の先祖が戦国大名とつながっていることを証明するなんて、先祖調査の素人である私にも、荒唐無稽であることはわかります。一体どこから手をつけたらいいのか、見当もつきません。
まさか私も、曽祖父みたいにあちこちの墓地を訪ね歩いて、誰がいつ死んだのかをメモすることになるんでしょうか……。
「まあ、先祖探しは普通、戸籍を取ることから始めるよね。家系図があるといっても、それが本当かどうかわからないし、戸籍をみれば、直近の先祖について色々わかるから。いきなり戦国時代に行くんじゃなくて、まずはそこから始めたらどうかな」
ふむふむ、まずは戸籍をとる……と(メモメモ)。
具体的には、直系の先祖の除籍謄本を、過去にさかのぼって取れるだけ取るということでした。通常、明治時代までは取れるようです。
「郵送でもいいけど、現地に行ったほうが色々わかると思うよ。ついでに、地元の郷土資料館に、ご先祖の資料がないか聞いてみたら。昔からその場所に住んでいたのなら、なにか記録が残っているんじゃないかな」
なるほど、さすが田村さん。参考になるなぁ。
今度、父の相続手続きで実家に行くから、ついでにW町の役場に戸籍を取りにいこう。私は、そう心に決めました。
サポートありがとうございます! 近々、家系図のよくわからない部分を業者さんに現代語訳してもらおうと考えているので、サポートはその費用にあてさせていただきます。現代語訳はこのnoteで公開しますので、どうぞご期待ください。