ルーツ旅【山形庄内地方②】他人任せの調査にはドキドキがない
家系譜は、ずいぶん詳細なものでした。冒頭に、一番最初の先祖(初代の齋藤氏)について書いてあります。
「最上時代:最上山形にて出生、いにしえの祖・齋藤〇〇より24代の〇〇、天正4(1576)年、古河より最上山形に下り、齋藤伊代守に仕え、最上家に奉公を望み大山に住んだ・・・」
なんと、約440年前とはずいぶん古い。調べてみたら、いわゆる戦国時代だった(ええぇーーー)。
▼遠いご先祖のことは、よくわかった
家系譜は漢字ばかりでよくわかりませんが、解説を読むと、大体次のことがわかりました。
・遠い先祖は、茨城県古河市あたりから山形に移住した。
・初代は最上山形出身で、庄内地方の西部を開拓して村を作った。
・初代は最上家に奉公したあと、最上家が改易されたために浪人になった。
・その後、何代かいろいろあり、文化11(1814)年、大庄屋に任命された。
やたらと「最上」という言葉が出てきますが、きっと山形ではポピュラーな存在なのでしょう。最上川ってあるし。
親切な図解により、大庄屋の説明もありました。昔、村の支配は次のような序列で行われていたのです。村のまとめ役みたいなものでしょうか。
代官→大庄屋→大組頭→肝煎・長人百姓→村人
大庄屋についてwikipediaで調べたら、こんなことが書いてありました。
身分は農民であるが、旧来は武士の由緒をもつ者が多く、その地方では格式の高い家とみられた。・・・代官などの役人の指揮下で、組下の庄屋、名主を統轄し、法令の伝達、年貢、夫役(ぶやく)の割付け、村々の訴訟の調整にあたった
▼近いご先祖のことも、よくわかった
亡き母のいったとおり、ご先祖様はお侍さんだった。私はなんだか、母に申し訳ないような気持ちになりました。きっと明治生まれのひいおじいちゃんは、武士のプライドを持って生活していたに違いありません。
おばは、そんな私を見て、家系譜に書いていないことについて補足してくれました。
・江戸時代は藩主の教育係をしていた。
・藩が廃止されたあとは、学校の先生など教育関係の仕事をする人が多かった。
・最近(といっても多分昭和か平成)では、大学の学長や、東大を卒業してロケットの設計をしている人もいる。
知らないことばかりです。
うちの祖母方は、頭のいい家系だったのか・・・!
先祖を調べると、いま自分がやっている仕事と似た仕事をしていた人がいたという話は、よく聞きます。今回、私が調べた中にも、似た仕事をしている先祖がいて、なるほどと思いました。
初代が村の開拓者だったというのも、先見性・行動力・根性が備わっているようで、なんとなく勇気づけられます(少なくとも、先祖がすごい犯罪者とかでなくてよかった)。
▼私が知りたいのは、もっと違うことだった
しかし、ご先祖を調べようと思ったら、いきなり初日に全部わかってしまい、正直いって拍子抜けしました。
もっとドラマがあると思ったのに。
たぶん家系図の実物をみたところで、私には解読できないだろうから、現代文で書かれた解説があって有難かったのは確かです。
でも、他人まかせの調査では、ドキドキした気持ちがどこにもなく、正直いってつまらない・・・。
先祖探しは、いまの自分について納得するための、物語を見つける旅だと、私は思います。
自分の職業について納得できた気がしたのは1つの収穫ですが、本当に私が知りたかったのは、もっと別のところにありました。
サポートありがとうございます! 近々、家系図のよくわからない部分を業者さんに現代語訳してもらおうと考えているので、サポートはその費用にあてさせていただきます。現代語訳はこのnoteで公開しますので、どうぞご期待ください。