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過去を一枚の画に代える

厳冬の中で話すことでもないのだが、ふと思い出したホロ苦い、私の思い出にお付き合い頂きたい。私は20代の頃、ある女性を猛烈に好きなった。なぜそうなったのか、今考えてもよく分からない。

お胸やお尻の膨らみに魅了されたのだろうか…、いや、失礼ではあるが、そんなに膨らみのある方だとも思えない。中肉中背と言ったらよいかは、それぞれの人の判断があるだろうが、目立ってどう、ということもないので、男の生理的現象を源とし、惹かれたというのではない。

なぜだか分からないが、この人と一緒に居たいという衝動に駆られ、気付けば、ある公園に咲く、ハクモクレンの木の下へ呼び出した。もうすぐ日が暮れる午後5時くらい、春まっ只中の6月。そこで私から告白をした。

「お付き合いしませんか?」
お返事は、「ごめんなさい…。」

当時、学生だったが人生初の告白。結果から見れば、現実はクリーミングパウダーの全く入っていないブラックコーヒーのように、黒く、苦く、どこにも甘さは感じなかった。

彼女がそう返事をした後、両者に居づらい空気感が漂う…。逸早くそれに気付いた彼女は、目の前の他人から離れたい時に使う常套句、「用事があるから、これで…」と言い放ち、早足に立ち去っていった。

それを呆然と見送った私の口の中は、全エネルギーを使い果たしたかのように、異様なまでの乾きが襲っていた。だが、水を飲みたいとは思わない、不思議な心境だった。

強烈な恋心を抱いても、その気持ちは相手へ届くとは限らない。自分がこんなにも苦しいほど、その人のことを考えていたって、その強さを凌駕するかの如く、決して通り抜けることの出来ないファイアーウォールを創られ、遮断されてしまうのだ。

勇気を出して、人生一番最初の告白というものは、こんなもんではある。フラれた当時の心境は地獄。「もう死んでしまいたい。恥をかいた。もう終わりだ…、」残念ながら、若い頃というのは、どうしてもこうなる。

しかしここで、ちょっと不思議なことも起こった。
告白した場所は、公園のハクモクレンの木の下。空を仰げば、視界にハクモクレンの花が目に映るところに立っていた。頭の中が真っ白になっていたその時、ハクモクレンの花がポトリとひとつ、頭に当たったのが分かった。

まるで励ましてくれたかのような、優しくもどこか重みのある落花。

それを切欠に私の頭の中の意識は現実へ戻り、更なる人生行脚を後押しされたかのような心象風景になったのだった。

最終的に自分の心の中に残ったものは、告白してフラれたという結果ではなく、一連の流れの中で生まれた、この時、という、想像による客観的な一枚の画であった。

結果にフォーカスしてしまうと、恐らくいつまでも尾を引きずるんだろうが、この経験は今でも妙に温かい

写真を思い出のアルバムに収めるとは、過去の良くも悪くも、連綿と続いた経験を、ある瞬間を映し出した一枚の画に変えることで、強く尾を引きずらず、深く思い出すこともなく、ほどよく収めるための行ないなのかも知れない。

更には、心や気持ちの整理も同時につくものだと、あるひとつの具現化させた人間の知恵なのかも知れない。

ハクモクレンに関して、こんな歌を見つけた。

■Music Artist:結花乃(ゆかの)
■Title:「ハクモクレンの木」

人の心象風景や思い出というものは、これが一番良いという見本は存在しないだろう。ハクモクレンの木の下で、私のようにフラれた者もいれば、自分の将来への展望を描く者、もしかしたら、頬を打たれた者もいるかも知れない。

100人いれば100通りの思いが巡り、時に、私たちはその心象風景を様々な形に変えて、人へ伝えたくなったり、アルバムに収めたりもする。もし伝えるのなら情熱や情念を込めて伝えて、それに呼応する者が現れては、一緒に世界観を更なる大きなステージへと膨らませてゆく。

それがアーティスティックな世界の魅力なのだろう。

さて、2021年はどんな出来事が起こるのか。こんなご時世ではあるが、私としては妙に楽しみな気持ちが強い。つまりこの心境こそが、本当の幸せなのかも知れないな…。

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