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ある晴れた日に、穏やかになったなら

メレディス•グレイのことを考える。彼女は、ずっと、ひねくれシスターズだった。母親が、天才外科医で、そのせいでほとんど、小さい頃は放っておかれた。だからこそ、彼女は、母親とは正反対の人生を歩もうとし、家庭を創り、子供を育て、愛情溢れる人間になった。ある日、彼女は、パートナーを亡くした。最愛の夫は、天才と呼ばれる脳神経外科医だった。夫を亡くし、息ができなくなった彼女は1年間逃亡する。そして、また再びシアトルに戻り、外科医として復活する。彼女は、ひねくれシスターズと呼ばれるほどひねくれていたが、悲しみと静かに、心のなかでは激しく向き合いながら愛情を開花させた。いや、もともと彼女は、愛情溢れる人間だったから、開花もなにもないのかもしれない。イザベル•スティーブンスのことを考える。彼女は、人が好きで、おかし作りが好きで、それでいてとても惚れっぽくタフなストリートガールだった。彼女も、優秀な外科医だった。彼女は、ある日、恋をした。患者であるデニー•デュケットという男と、惹かれあって結婚の約束をする。デニーは心臓が弱かった。心臓移植をしなければ、助からない身体であった。しかしながら、何度も何度も手術をしたおかげで身体も精神も既にボロボロになっていた。万一、移植をする前に容態が急変したならば、蘇生拒否をするという意思を表明していた。イジー(イザベル)は、考えた。移植の待機リストの順位をあげるには、わざと容態を悪化させ、そして心臓を優先的にもらうしか方法がなかった。追い詰められた彼女は、デニーの補助心臓のコードを切り、待機リストの順位をあげることにした。そうしてデニーは心臓をもらった。要するに、イジーは心臓を盗んだのだ。それでも結局デニーは、移植手術後に拒絶反応を起こし、帰らぬ人となってしまった。イジーは、ほんの何秒かの差で、デニーの最期に立ち会うことができなかった。失意のどん底に落ちたイジーは、立ち上がることができなかった。床に倒れたまま、ずっと、なにもすることができなかった。友人たちがつぎつぎと、彼女のもとを訪れた。ユダヤ教徒のクリスティーナは、シヴァをやろうと、提案した。シヴァは、ユダヤの風習だ。1週間、固い床の上に座ったりして、喪に服する。イジーは床に横になったまま、ずっと繰り返した。「なぜ、あたしは、拒絶反応のことを考えなかったんだろう。」壊れたラジオのように繰り返しながらその言葉を放つ。そして友人たちは、ひとりずつイジーのもとを訪れ、ずっとひたすらに、彼女の話を聞いた。しばらくイジーは、放心状態のまますごし、結果として立ち上がることができた。彼女のあのときの虚ろな目と、そして、ただひたすらにしゃべり続ける感覚は、とても、共感できるものがある。というよりも、いまのわたしはイジーそのものであり、また、メレディスのような穏やかで解放されたような気持ちも持ち合わせている。どちらもあって、どちらもない、そんな感覚がそこかしこにある。二人とも、架空の人物であり、結局はお話しの世界での出来事だ。それでも物語というのは、やはり、作者の人生がそのまま表されているものだと思う。だからこそ、その世界に逃亡しようとする自分と、誰かと話すことで現実世界と自分を切り離さないようにする感覚が入り交じり、そうしてゆっくりゆっくりとわたしは海に侵食していく。そんな感覚がある。鮫に喰われちまえばいいのに。鯱にオモチャにされて、引きちぎられればいいのに。そんなことを思わなくもない。本意ではないが、いろいろと頭が回転するなかで、それが時おり姿を現す。たくさんの友人や仲間が、声をかけてくれる。みんながひとりずつ、弔問に来てくれるように、わたしのもとへなにかをもってやってきてくれる。それは、言葉だったり歌だったり、アイデアだったり、いろんなこと。なにも、目に見えるだけのものでなく、フワフワと掴めないような感覚だったりとか、データ上のものだったりとか、そんなことも多い。わたしは、心配される資格のない立場の人間だと思いながらも、心配されることはうれしい以外にはないのかもしれない。ひどく眠いような、そうではないような、どこか触れてはいけない花の香りに誘われるような、そんな感覚がある。そうして神経がどんどんと鈍っていき、気が付くと、すこし遠くまで来ている。ある人に、恋の話を聞いた。激しい恋の話だ。いまは自分の話もしながら、それでも、ひとの話を聞いているのが一番嬉しい。ひとの話を聞いて、自分もどこかへ、飛んでいけるような気がする。だからこそ、ある意味では穏やかになれる。本当の穏やかさを手に入れられる感覚もある。不思議だ。どこまでいけば気が済むのだろう。そんなことを思いながら、ずっとずっと、ソファに座っている。

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