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縁切り神社に行ったら思わぬものと縁が切れたって話

先日、縁切り神社に足を運んだ。

それから一ヶ月ほどが経過したが、思わぬ効果が出始めていることに驚きを隠せなくなったので、今日はその話をしようと思う。

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京都にある安井金比羅宮という、縁切り神社として有名でありSNSでよく話題になっている神社がある。

私がここに訪れたのは、今回で二回目だった。

初めて行ったのは、二年前。

風俗業界を卒業する一つのきっかけとなった彼との破局後、いつまでも泣きべそかいてウジウジしている自分と縁切りをしたく、また良い出会いと結ばれたいという願いを持ち、親友二人に付き合ってもらい神社を訪れた。

その後、劇的な変化があったのかと言われると、体中に電気ビリビリうひゃー!みたいな運命的な出会いはなかったのが事実である。

しかし、その別れた彼とは同じ町に住んでいて徒歩5分圏内という近さだったのだが、それから一度も遭遇することはなかった。まだ同じ場所に住んでいるということだけはどこからともなく聞こえてきてはいたけれど。

運命的な出会いは感じられることができなかったにしても、縁切り神社を訪れてからは友だちと色んな国へ旅行したりと日常生活が充実していて、傷ついた心はいつの間にかすっかり治っていた。

大切な友だちや家族、私を気にかけてくれる人たちに救われていた毎日だった。

しかし、私が傲慢になってしまったのか、日頃の行いが良くなかったのか、半年経った頃には次々と災難が降りかかった。

弁護士沙汰になるし、バイトはクビになるし、鬱で引きこもりになるし、酒と薬漬けになり、今までの人生で一番辛い日々が続くこととなった。ついこのあいだまで。一年半と、とても長かった。

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二度目の安井金比羅宮に参拝をする当日の朝。

前夜から朝8時まで酒を飲み、それから2時間だけ睡眠を取った私は、言うまでもなく酷い二日酔いだった。

数日前から友だちと予定を立てていたにも関わらず、そんなにもなるまで飲んでしまうのは異常だった。

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その頃の私は飲酒量が半端じゃなかった。

出社前の朝から缶ビールを開け、昼も会社の個室の休憩室でこっそりと缶ビール片手にご飯を食べ、夜も家に着けば、まず冷蔵庫に大量に冷やしてある缶ビールをTikTokを適当に見ながら流し込む。浴室にも酒を持ち込んで髪や身体を洗いながらひたすらに飲んだ。

そうして酒でいっぱいになった腹は固形物を受け入れる余裕はないため、昼飯のみの一日一食生活が基本だった。

固形物は入らないにしても液体はどんどん入っていってしまうため、飲酒し続けベロベロになり誰かに電話をかけては口から汚い言葉しか出てこず、どうしようもなかった。

気づけば深夜3時を過ぎ、頭がふらふらしてきたところで、ようやく眠りにつけた。

そうして朝になり起床すれば、二日酔い。

その二日酔いのしんどさを紛らわすため再び朝から缶ビールを流し込み、ほどよく酔い、麻痺させた状態ながらも白目を剥きながら会社へ向かい、会社のトイレで吐く。

救いようのない人間だ。

しかし、そんな毎日を繰り返すには私なりの理由があった。

しっかりと意識を保っているシラフの状態だと常に不安に襲われ、仕事中だろうが電車の中だろうが突然、涙が溢れ出ることが頻繁にあった。

いちいち喉の奥らへんや心臓がキュウっとなるのが苦しくて、それに耐えられなくなった私は、それから逃れるようにふわふわとした状態で何も考えなくて済むように、自ら酒に溺れていったのだった。

けれども、寂しさや虚しさ、孤独感が頭の隅っこにいつも居座って私から離れてはくれず、酒で自分を騙しても鬱状態は相変わらず続いた。

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そんなある日、中学生時代から今でも定期的に会う友人と何気ないやりとりをLINEしていると、

「近々、縁切り神社行こう!」

と急に誘われたのだが、これには少し驚いた。

数日前から、”縁切り神社に行きたいな~お礼参りもしてないし。でもみんな忙しいだろうし、一人でさすがに行くのもなぁ。もうこんなしんどい毎日と一日も早く縁を切りたい。もう神様に頼るしかないんよなぁ・・・”なんてことを頭の中だけでブツブツと言っていたのだった。

まさか以心伝心したのか!?と思ったのは束の間、

「次○○日空いてるけど、どう?」

と言われスケジュールを確認すると、私もたまたま休みだったのだ。

お互いに土日出勤がある会社のためシフト制で、決まった曜日に休みがあるわけではないにも関わらず、こんなにどんぴしゃに休みが合うということは、縁切り神社に行かなければならないんだとこの瞬間に確信した。

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そうした経緯があり、迎えた当日は歴代トップ5に入るほどのしんどさの二日酔いだった。

完全に朝まで飲み散らかした私が悪いでしかないが、縁切り神社に行くことを中止する案は私の中にはなかった。這ってでも行くと決めていたからだ。

私の家から安井金比羅神社のある京都の祇園四条駅までは一時間以上かかる。

水の入った500mlのペットボトルを常に片手に持ち、気持ち悪さを抱えながら電車に揺られた。

駅の改札で待ち合わせた友人と合流すると、すぐに二日酔いということがバレた。

「こんな二日酔いで金比羅さん行ったら神様に怒られるかなぁ。」

と笑いながらも正直不安に思うなんとも表わし難いトーンで友人に聞くと、

「ほんまやわ。それは怒りはるわ。...じゃあ、うちが代わりに「この子、二日酔いで来てしまってすみません。」って謝っといたげるから。大丈夫や。」

と背をスッと撫でてくれた。

気のキツい印象が多い彼女だが、どうしてか大事な場面にはいつも隣に彼女がいて、そういうときばかりは温かい言葉をかけてくれる。

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気温34℃の京都はアスファルトからの照り返しがすごく、より体感温度は高く、二日酔いの私には破壊的な影響を及ぼした。

正直、その日の会話の内容はあまり覚えていないし、常に宙に浮いていた感覚だったが、とにかくお参りを果たすため、どうにか意識を保っていた状態だった。

駅から10分ほど歩き、ホテル街を通り過ぎたところに、安井金比羅宮はある。

二日酔いのせいで感覚が底辺レベルに鈍っていたため感じられなかったが、ここに訪れた多くの人が「鳥居をくぐった途端に空気が変わった」と口コミやSNSに書き込んでいる。

しかしながら、他に参拝者がいながらも辺りはシーンとしていて自然とスッと背筋を伸ばしてしまう雰囲気だ。

手水舎の水で両手を清め、口をすすぎ、本殿へ移動しまず参拝をした。

二年前の御礼参りも兼ねて、住所と自分の名前も忘れずに伝えた。

それからメインである高さ1.5メートル、幅3メートルの巨大な碑(いし)があるのだが、その中央下にある穴を、形代(かたしろ)という身代わりのお札を手に持ち、くぐるのだ。

表側から裏側へ、この時に悪縁と縁が切れるという。

そして、裏側から表側へ再びくぐって戻ってくる。この時に良縁と結ばれるという。

折よく、碑前に並ぶ人が少なく周りを気にし過ぎることなく、しっかりと思いを込めてくぐることができた。

大きな碑の表面には、手に持っていた形代が数万枚と貼られていて、碑の表面が見える隙もない状態だ。

私もくぐり終え、いつの日か同じようにここに訪れたであろう人の形代の上に少し遠慮の気持ちを持ち合わせながら、のりで上から貼り付けた。

(お願いします。私、頑張ります・・・)

そんなことを心の中でメッセージを碑に送った。

この碑をくぐる前に、私は形代にマジックペンで願いを書いた。

別に何も書かないままくぐってもいいらしいが、ネット上に‘‘事細かく書いた方が良い‘‘と書いていたので、前日に、それもまだ酒を飲む前のシラフのときに形代に書く文章を考えてスマホにメモを残していたのだ。

当日になり、酷い二日酔いで頭も回らないと判断した時に、‘‘昨日のうちに準備してた自分まじで天才、ナイス。‘‘と心底思った次第である。

”私にとって悪い縁は切ってください。(中略)そして私は鬱から解放され、良縁に恵まれ、自分らしく輝いていられる日々を迎えられますように。”

そう願いを形代に書き記した。

そうして縁切り儀式を終えた私達は、涼むがてらにかき氷屋に入り、再び電車に揺られ夕方頃に帰宅した。

ずっと緊張状態だったものが家の鍵を施錠したと同時にホっとしたのか、急激に吐き気を催し、そのままトイレへと吸い込まれるように入っていった私であった。

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それからなんとなく日々を過ごしていた私だが、明らかに生活が変わったと感じている。

人間関係で言うと数人ほど連絡を取らなくなったりと断捨離された感じはあるが、それ以上に思わぬものと縁が切れてしまったのだ。

それは、酒だ。

・・・この私が酒と縁が切れてしまったのである。

あれだけ毎日、朝から晩まで呼吸をするように共存していた酒だったにもかかわらず、気持ち悪いくらいにぴたっと飲むのをやめてしまった。

誰かに強制的に断酒させられたわけでもなく、ただただ自ら酒と距離を置くようになってしまったのだ。

飲もうという気にならなくなった。

ただ、缶ビールを段ボール買いしていたので、まだ冷蔵庫に冷やしてある分をちびちびと3日に1本というペースで飲んではいるけれど、以前の私と比べると摂取量は恐竜レベルから蟻んこレベルに変化してしまったというところだろうか。

自分でもこの現象が不思議で仕方がなく、どうしてしまったんだと自分で自分の心配をしているくらいだ。

しかし、そんな酒ナシの生活を送るようになってから、しっかりと生きている感覚がある。

酒を飲まないということは自動的に二日酔いになることはない。

二日酔いじゃないってこんなに体が軽くて、体調が良くて、食欲もちゃんとあるってなんて幸せなんだと思ったほどだ。

体調が良好だと部屋の掃除をしようという気にもなり掃除機をこまめにかけるようになり、部屋が綺麗な状態を保っていることも多くなった。

これまで、ベッドから降りれば玄関まで続く床は脱ぎ捨てた服でいっぱいでしたから。

それに加え、おしゃれを勉強しようという気になり、よくわからん着回しのしにくい服を大量に処分し、小顔マッサージなんかも毎日しっかりやるようになり、髪色も汚い茶髪からシックな黒髪に染め、気づけば新しい自分だらけになった。

更には、プロジェクターと音質の良いスピーカーなんかも揃えだし、シュワシュワのコーラを飲みながら巨大画面でNetflixを堪能している毎日だ。

考え方もポジティブ思考であることが多くなり、自分を大事に扱ってあげられている気がしている。

そして、孤独を感じることも少なくなり、そういや涙もしばらく流していない。

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こうして形代に書き記し願った通りに、息をもつかせない展開で鬱と縁を切ることができた。

まさか酒と疎遠になり、同時に新しい趣味なんかに出会い、活き活きとしだしている自分がいることが本当に嬉しい。

人間だから浮き沈みは必然的にあるだろうし、孤独を感じてしまう夜もこの先あるだろうけれど、過去の自分より進化した私だからきっと大丈夫。そう感じているし、そう信じている。

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ここ最近の私のnoteは酒飲み関係の記事が多く、それらが有難いことにたくさんの方に好評を頂いておりましたが、上で述べた通り、一旦酒とは縁を切ることになってしまい、果たして酒ナシ状態で読み応えのある記事が書けるのかと不安ではありますが、これからも更新していきますので温かく見守っていただけますと幸いです。

縁切り神社に行くなんてと気味悪がられたこともありますが、個人的には占いや宗教的なものを信じる感覚とはまた違って、自分自身を変えるためや自分がより良い未来を過ごすための行動のきっかけとして縁切り神社を訪れ力を借りることは良いんじゃないかなぁと思っています。

価値観は人それぞれなので、他人に強要しなければ自分が信じたいものは自由に信じていいと思います。

色々な事情があって縁を切りたい誰かがいる方、または”現状を変えたい””自分を変えたい”と何かと縁を切り良縁と結びたいという思いがある方は、ぜひ京都の安井金比羅宮へ足を運んでみてはいかがでしょうか

背中を押してくれるような何かが起こるかも。


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