見出し画像

父親からの愛情不足でこんな人生を歩んでいるのだとしても、

まっすぐな心で純粋な気持ちで生きる人生を歩んでみたかった。

たまにそう欲する私は風俗で働いた過去があるという、男からしたら厄介な物件だ。

私のそんな過去まで丸っと愛してくれる人と将来結ばれたいという強い願望は曲げられないので、私は誰かと一緒になることは難しいのだろうと気抜けしている。

けれども、‘‘そんな仕事‘‘と言われる仕事でもその時の私にとってはそこが居場所であったし、どうすれば今より輝けるのかを考える毎日が楽しかった。

辞めて数年経った今でも、あの仕事をしてたことに後悔はない。

そう言うと、「自分でそう思いたくないから後悔してないって自分で言い聞かせてるだけやって。」とよく言われたけど、どう頑張ってもそうは思えない。し、そうやって私の過去を否定された気持ちになっては余計に、後悔なんてないという思いが強くなる。

あとになって後悔する日が来るのかもしれないけれど、私が選択してきたことに他人がケチをつけるのはお門違いでしょう?

***

私が小学校に入学すると同時に、それまで暮らしていた町の隣へ移り住んだ。

確か、父は火曜、水曜、土曜と決まった曜日に帰ってきた。この頃から。

‘‘パパが帰ってくる日‘‘なんて曜日に名前をつけていたっけ。

そのパパが帰ってくる日以外は、それまでみんなで住んでいた家に寝泊まりしていると説明を受けていた。父の経営する会社の事務所の上に家を建て、6才までそこに住んでいたことになる。

なぜ父親が毎日家にいないのか母に聞いたことはなかった気がする。そもそも気にならなったのかもしれない。記憶が無いだけで聞いていたのかもしれないが、あまりセンシティブな内容は触れないでおこうと察する性格は今も昔も変わらないはずだから。

しかし、小学校ではいじめをする立場になり、中学生の時には狭い家の中で傘を振り回して泣き叫び親を困らせた記憶がある。でも、それらは母親からの勉強の重圧からだと自分では解釈している。

それからというものの、思ったより校則が厳しかったという理由だけで高校入学数時間で「こんな学校辞めたるわ!」とチャリンコで校門を強行突破し公園でやさぐれたりもした。

そうして結局引き戻された高校を何とか卒業すると同時に風俗の世界へ入り、自分の父親よりも年上の人とそういった行為をする場面が言うまでもなくあったが、何の躊躇もなかった。

むしろ、私に会いたいと私を欲してくれる人たちばかりで心地よかった。

指名が増えれば増えるほど店は私を大事に扱ってくれるし、ランキングに載り続ければ「一度お会いしたかったんです。」と手を握って感極まっている人もいた。

普通に大学生をしているだけじゃこんなに承認欲求が満たされることがないとわかっていたから、その沼が温泉のように居心地がよかったのだ。

風俗を辞めてからは、10も20も歳の離れた人ばかりを好きになり、相手に愛情を求めてばかりいたら揃ってみんなパッと目の前からいなくなっていた。

‘‘えっ、人生難しすぎんだろ‘‘って行き詰まっているところ。なう。

***

つい最近、私のことをよく知ってくれる友人と話していて、ある理論を告げられた。

「お父さんがあまり家にいなかったことも少なからず影響してるんじゃないかな?自分で自分を満たしてあげる方法がわからないから他者に満たしてもらったり、そういう家庭環境で育った子はお父さんと同じような年齢の男性を好きになりやすいとか言うやん。」

よく聞く話だったけど、あまり深く考えたことがなかった。というか、考えないでいた。考えたところで何か変わるのか?と思っていたから。

しかし、大切な友人が真剣に話してくれたので、ここしばらくはそれについて深く考えている。

***

中学生の頃に後部座席からチラっと見えてしまった父の携帯の画面に映った「俺も会いたいよ。」の送信メールや、ここ数年前には父が母ではない違う女性と歩く姿を何度も目撃したことは、確かに気分は上がらなかったし、当たり前にショックだった気がする。

でも、4人揃って何度も家族旅行に行ったし、今でも私がたまに実家に帰ったときに4人揃って食事もする。

20歳になった頃に私が救急車に運ばれた時だって、パパが帰ってくる日ではなかったけど病院まで駆けつけてくれた。

それに、どんなに綺麗に見えるものも中ではぐっちゃぐちゃになっているものが多いことも、私は多くの人を見て知った。表面だけでも綺麗にって、みんな色々なものを抑えて生きている人が多いことも知った。

そんなことも含めて、私の中に父を恨むような感情はない。いつか恨むのかもしれないけど今は恨む気持ちが生まれてこない。

ここにきて、良い子で居たいからこその思考なのかもしれないけれど、真意は分からない。

いつも家族全員が揃って毎日笑顔溢れる家だったら、風俗で働こうともせず、まっすぐな心で純粋な気持ちで生きる人生だったのかなとどうにもならない夢を見るけれど、それはそれで退屈過ぎたかもしれないし、人間はないものねだりだってことも分かっているから、これまで25年かけて進めてきたゲームは何としてでも続行させたい気持ちが、今はある。

取り留めのない文章になってしまったけれど、自分らしい日々を迎えられるよう今は自分と向き合うことを頑張りたい。

そして、『いつだって味方でいるから。』と優しく言葉を残してくれた友人に心から感謝します。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?