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元風俗嬢が鬱を克服するため働き出した会社に来て1年経った今思うこと

先日、今の会社に勤めて早くも1年記念日を迎えた。

記念日だなんて、たかが1年務めたぐらいで大袈裟なやつだと思うだろうけれど、少しお付き合い願いたい。

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週5.6で出勤するほどのどっぷり浸かっていた風俗嬢時代から考えると、だいぶ社会というものに馴染めている自分が確かにここに存在している。

ここに来る前にも歯科助手の仕事をしていたが、風俗嬢時代のコネのコネで雇ってもらうという自分の力で頑張る気力のない私だった。

正社員になってほしいとお願いされたにもかかわらず、続ける自信が無かったことと、歯に興味が全く無かったことから、時給1000円のアルバイト契約でいいと粗略にお断りした。

歯科助手の業務は普段からしたら馴染みが無さすぎる器具の名前なんかを覚えないといけないし、立ちっぱなしは当たり前、次々と患者さんが来院する忙しい医院だったため、常に走り回り毎日ヘトヘトだった。

しかし何かと我儘を聞いてもらい、週に4日以上は働かず午後の診療から出勤するという勤務態度だった。

そんな中、馬が合わなかった女の先輩に過剰に怒られたとき、私に対してばかりなんでそんな態度なのかと悔しかったのを覚えている。

そんなことはしょっちゅう起きた。

『あの子の社会人としての働き方はどうなん?いつまでもアルバイトのままなんて。』と数人で議論が行われていた事実を知ったときは笑うことしかできなかった。

全て、23歳にもなってぬくぬくとアルバイト生活を送っている私が気に入らないがために起きた行動だったのだ。

私はあんたらの旦那でも彼氏でもないし、時給1000円で働こうがなんの迷惑もかけてないと思うけど?と一言残して行きたかったが、あっけなく他の事情により解雇とされてしまった。

いつも仲良くしてくれていた先輩もその輪の中に入って私の謗りをしていたことが何より残念で仕方がなかった。

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そして、最高にタイミングが悪くコロナが流行り出し、初の緊急事態宣言が発令された頃に私は無職となった。

それまで小遣い稼ぎ程度に出勤していたラウンジも休業となり、私は人と接する時間を失くした。

そうして色んなことが積み重なり、空っぽになってしまった私は精神科に行き、適応障害と診断を受けることとなった。

薬と酒を飲むだけの生活がそれからしばらく続くが、その期間の記憶がぽっかりと抜けている。

手の震えが止まらなかったこと、何日もお風呂に入れなかったこと、家の中でも常に歩き回っていないとどうにかなりそうだったこと、気づいたら涙を流していたこと・・・そんな記憶しかない。

本当に何もできなかったんだと思う。

最後らへんは実家に強制送還されて、ベランダにマットレスが用意され、そこで日光浴をするプログラムを組まれていたこともあったな。

『することがない』というのがこの頃の口癖だった私に精神科の先生は『アルバイトでも何でもいいから働いてみたら状態は良くなるかもしれない』と言った。

‘‘そんなことは言われんでも分かっとる‘‘といつも思っていながら動けないでいた。甘えがほとんどを占めていたのだろうけど。

なにもできない時間を半年間過ごし、何気なく求人サイトを眺めている時間が増え出し、いくつか目に留まるものがあった。

歯科関係のものにも一瞬惹かれたが、大して歯の知識ねぇしなと自覚しては候補からすぐ外れた。

そんな中【レア求人!事務の仕事だけじゃない!イベント運営・企画も!】という好奇心がそそられるタイトルがつけられた求人に興味をかき立てられたのだった。私はとことん変なものに惹かれやすい。そんな性質だ。それにしてもレア求人ってなんだよ(笑)

詳細ページに進んでもあまり仕事内容は書かれてはおらず不明確のままだったが、なんかわからないけど楽しそう!という直感だけで応募することになった。

この時点で風俗を卒業して2年ほど経っており24歳になっていたのだが、自分の力で一から一般職で働くのは高校3年生の時のお弁当屋さんのアルバイト以来だった。7年ぶりということだった。

就活もろくにせず、大学卒業後は風俗1本で楽な選択しかしてこなかった私だから、どうせ落ちるんだと思っていた。

しかし、賢くないなりに考えて書いた履歴書を持ってガチガチになり挑んだ面接は開始間もないタイミングで『君はお酒は飲めるのかな?』という40代後半であろう男性面接官の訳の分からん質問によって一気に緊張が解け、『はい!最近は毎日家で一番搾りを飲んでいます!』という私の返しからお酒の話題で会話は盛り上がり、気づいたら面接時間が1時間を超えていた。

アルコールを扱っている会社では全くないのに、なぜ酒を飲めるのか聞かれたのか不思議で仕方がなかった。

変な会社の面接受けてもうたなぁ・・・と思いながらも、鬱から解放されるチャンスがあるのならば1日でも早く働きたい気持ちでいっぱいで、採用の連絡が来ることを祈ることにした。

面接から2週間が経過し、連絡が来たかと思えば『二次面接をしたいので来れますか?』ということだった。

時給1000円のアルバイト雇用なのに二次までするなんて、本当に変な会社だとまたもや思いながらも面接に向かい、そこでも再びお酒の話や好きなご飯の話、自炊をするのかどうかというそれ聞いて意味ある?といった質問ばかりでここでもまた私たちは1時間話し続けた。

そうして、そこから1週間経った頃に晴れて採用の連絡が届いたのであった。

他の会社の方と名刺交換をするのも初めてだったし、メールの最初には‘‘お世話になっております。‘‘というフレーズを入れなければいけないというルールもここへ来て初めて知った。初めて尽くしの毎日を過ごした。

しかし最近では一連の仕事にも慣れたこともあり、朝、出社して軽く掃除したら、自分のデスクについて10分程カチャカチャとパソコンで作業をすれば、それ以降は退勤時間まで暇を潰すためにひたすらTwitterを眺めるか、こうしてnoteを書き進めるという毎日を過ごしてるんだけどね。

仕事という仕事がコロナのせいでないらしく、そんなんでお給料もらえるなんて幸せなやつだなって突っ込まれると思うけど、本当にその通りで、コロナが終息して仕事を任されるようになったらその時はこのサボらせてもらってる分頑張りたいと思っている。

契約社員へと昇格させてもらったしね。

私が二日酔いで1時間に1回のペースでトイレに駆け込んでも、気持ち悪すぎて白目剥きながらガサガサの声で電話対応していても、『また二日酔い~?僕も~!さぁ、時間まで30分切ったしビールでも飲むか!』と言って事務所の冷蔵庫から缶ビールを取り出し乾杯をするという神対応なのかただただ変な人が集まる会社なのか分からないけれど、そんな楽しくて可笑しな毎日を送ることができて良かったなとしみじみ感じてる次第だ。

鬱は完全に治ったとは感じていないし、なんなら酒の量は増える一方だし、相変わらず涙が勝手に溢れ出す日はよくあるけれど、あの頃に比べたら回復した方だ。薬もしばらく服用していない。

当たり前のことなんだけど、お風呂にも毎日入れてるし、朝ちゃんと起きて会社にも行けてる。だからきっと大丈夫なはずだ。

『1年記念突破おめでとう自分!よく頑張った!これからも自分らしく頑張れ!』

と自分に労いとエールの言葉を送った1年記念日だった。

***

そして、私は今日で25歳を終え、明日から26歳が始まる。

どうせ26歳も、とびっきりはちゃめちゃに生きては辛いこともあるんだろうけど、そんな中でも自分らしく輝ける毎日が1日でも多く過ごせるといいな。

と願う今日だ。

二日酔いで書いた会社での1日を綴った
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