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しりぬぐいレポート (月曜日の図書館206)

あるときから行動と言動がちぐはぐになって、しまいに長い間仕事に来なくなった人がいて、その人が同じ係にいたのは2年も前なのに、いまだに置き土産が見つかることがある。

事務室の棚、研究室の床、書庫の隅、まるでリスが食べものを溜めこむように、あらゆる種類の仕事がやりかけのままで放置されている。「後でやる」とメモが貼りつけてあるものもあるが、本人はもう忘れているだろう。

病んでる人は片づけられないって本当だったんだ。S本さんがつぶやいた。

せっかく本人は別の係に行ってまた調子が上向いているというのに、ここで苦い過去を思い出させてしまうのはスマートではない。何をどうしたらよいか検討もつかない仕事であっても、見つけた人が想像力を働かせてよしなにする、というのがわたしたちの係での慣例になっている。

今回見つかったのは大量の新聞記事の切り抜きだった。幸いどう処理すればいいかはわかるが、いかんせん数が多い。過去に担当したことがある職員数人で、少しずつ切り崩していくことにした。

記事ひとつひとつにキーワードを書きこみ、同じキーワードごとに集め、更にその中で日付順にしていく。日付の部分だけは当時いた嘱託職員さんが記入している。

筆跡を見てなつかしく思う。職場の安いボールペンではなく、自前の万年筆で書かれた字。このときはまだ確かに生きて、ここに存在していたのだ。

今はもう会えない。

順番に並べ終わったものを、キーワードごとのファイルに綴じこんでいく。空白の歴史が少しずつ埋められていく。「選挙(市)」「伝統芸能」「都市再開発」「読書」...「郷土人」のファイルには気まぐれに取材された市井の人々が50音順に並んでいる。

まれに、数年おきに取材されている人もいて、語った夢を着実に叶えていたりすると、知らない人なのに胸が熱くなる。2時間ほどですべての記事を綴じ終えることができた。

S本さんが、自分のキャパを超えてがんばりすぎると、自分にも他人にも本当によくないことがわかるよね、と言った。絶対に無理は禁物、わたしたちもこうならないように気をつけないと。

S本さんはいつもきっちり定時で帰る。すきあらば途中で時間休を取って帰るし、年に数回は長めの休みを取って旅行に出かける。

旅先でご当地キティのボールペンを買うのが趣味らしく、一度引き出しの中にぎっしり入っているのを見た。20本はあったと思う。

今使っているのはナマハゲのキティだ。左手にはごつい刃物がにぎられている。

昔の市の公報が置いてある棚で返本していて、何か視界に違和感があると思ったら、数冊の公報から大量のしおりが生えていた。例の人の字で「作業中」とある。

このままだと永遠に作業中であることは明白なので、全部取ってしまうことにした。昔の紙は質が悪いので、やみくもに引っ張ると破れてしまう。雑草を抜くように、根っこが最後まで切れずに残るような気持ちで、ひとつひとつていねいに抜いていった。

過去の記憶を掘り起こしてみると、利用者から公報の希望するページをコピーしてほしいと言われ、断り切れずに受けていたのだったと思う。それをわたしたちが知ったのはだいぶ後になってからで、利用者から催促のメールが届いたことがきっかけだった。

そのころには本人は長期病欠に入っていたから、進捗具合は知らなかったけど、しおりの生え具合から察するに、本気で自分が全部コピーしようと考えていたようだ。

図書館に来館できる場合、コピーの代行はしていないと係長が伝えると、利用者はあっさり納得した。本当に、拍子抜けするくらいに。

頼まれたら断りきれずに何でも引き受ける性格と、周囲に遠慮せずご当地キティを買いに行ける性格、ふたつを足して2で割ったら、自他ともに幸せでいられるような気がする。

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