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沼に、マハっている

ハマっているのですが、マハ・・っているのです。タイトルをもう一度、よく見てください。

マハとは・・原田マハ。作家の名前です。フランシスコ・デ・ゴヤの絵画「着衣のマハ」(下掲)を彷彿とさせる名前は、いかにもアートの世界に身を置いているような印象を受けます。

着衣のマハ

ご自身もキュレーターとして、日本が誇る美術館の立ち上げにも関わっている経歴があり、絵画をモチーフに、その画面に込められたドラマや、描き手の生き様を描く小説を書かれています。アート小説と呼ばれるような作品は彼女の独壇場ではないかと思います(さっそくの贔屓目)。

僕は、ここnoteで、彼女の著書の紹介を16本の投稿で書いており、のべ17作品について書いているようです。(作品名に、紹介した投稿のリンクを貼ってみます。万が一気になったら、読んでみてください。)

とはいえ、作家の作品はまだまだ読み切れていないというのが正直なところです。いったいどのくらいの作品があるのか・・沼にハマった自覚はありつつも、まだまだ深みを味わっていないとも思えるくらいに、広い・・というか広すぎる感覚があるのです。

読書でいうところの”ハマる”は、文字通り没入し、読み耽ることですが、noteに書き続けているのは自分の感想を誰かに伝えたいというよりも、作家の言葉選びの秀逸さ、物語の楽しさを伝え、同じ作品を読んでほしい、仲間になってほしい、好きになって欲しい・・つまり布教なのです。

ただし、総じて、僕の押し(推し)の弱さもある投稿なのかも知れません。


はじまりは、年上の同僚が貸してくれた作品でした。

「総理の夫」

デスクの上で見かけた時は、マンガの原作かと思うほどにイラストが印象的でした(単行本版の表紙裏イラスト)。数年前に映画化もされて、人気俳優が主演を務めていたので、観たことがあるという方もいるかも知れません。

読んでみて、登場人物たちの初出作品が別にある事を知り、この作品↓を続けて読みました。そして、身も心も、ガシッと何かに掴まれてしまうのです。

「本日はお日柄もよく」

そこから、作家の作品を見つけては読むようになっていきました。物語の佳境に待ち構えているうねりに、何度泣かされたことか・・涙もろい僕にとって、電車の中で読むことは危険きわまりない行為でした。

高校生たちの挑戦や成長が眩しくて、目を細めながら読んだり、あの偉人のエピソードを日本版にしたような作品にも出会いました。

「カフーを待ちわびて」「ランウェイ・ビート」「生きるぼくら」「奇跡の人」

そしてすぐ、アート小説というジャンルにまみえることになったのです。

僕はもともと、美術館に行くことは好きだったのですが、いわゆる絵画の知識はありませんでした。有名な絵もそうでない作品も、こんな世界があるのか、こんな絵を描いた人がいるのかと眺めているだけだったのです。

中でも、ゴッホの絵の特異性は衝撃的でした。



中学生の頃だったか、横浜で開かれたゴッホ展で「糸杉と星の見える道」を見て、あまりにも感動して、その場で泣いてしまったことがあり、それは僕がゴッホを好きになる原体験でもありました。

「モダン」「楽園のカンヴァス」「たゆたえども沈まず」・「太陽の棘」
「ジヴェルニーの食卓」・「暗幕のゲルニカ」・「リボルバー」

作家の作品に出会うことで、眺めるだけだった絵が立体的に、そして見えないはずの裏側が姿を表したような印象がありました。物語は真実ではないとしても、生き生きとした人物たちに励まされているように感じられたのです。

絵画という平面の作品に込められた、人間らしい悩みや葛藤を想像するにつけ、画家がただ絵が上手いから描いてお金を儲けていた・・などと考えていたのが恥ずかしくなりました。

一枚の絵画に、こんな物語があるかも知れない・・なんて思うのも楽しいのですが、物語にならない絵画にも、きっとさまざまなドラマが込められているのだと思うと、胸が熱くなります。

作家はエッセイなどで、たびたび美術館を「友達の家」と称していました。海外の美術館も、そして国内の美術館も、どこにでも”友達の家”がありました。国内の美術館を描いた作品は、あまりにも身近な光景があって、ハッとしました。

「デトロイト美術館の奇跡」「常設展示室」「あの絵の前で」

いくつもの作品を読んできて、自分にも書けたらいいなと思ったのをきっかけに、作家の真似をして、短い物語を書いたりすることもありました。絵画について調べたり、画家の半生を調べていくうちに、この作家の作品の裏側には深い知識と、瑞々しい感性があるのだと痛感しました。


絵画から離れ、音楽のことを書いた作品も、また大きな可能性を感じることができました。たった一つのセリフが印象的で、ほかの作品にも繋がっているのでは・・と思いを馳せたこともありました。芸術の底知れない価値を、人間を通じて、言葉を使って表現するその才能は、羨ましくもありました。

旅の楽しさを書く作品も、社会的に浮き彫りになっていたような不安感を捉えた作品も、読みながら考えたり、感動したり安堵したり・・忙しくも楽しい体験ができるのです。設定としては難しいのですが、コメディのような展開で笑わせてくれる作品にも出会い、作家の裾野の広さを改めて感じる作品たちでした。

「永遠をさがしに」「旅屋おかえり」・「まぐだらのマリア」・「ロマンシエ」

お酒が登場する話は、モデルとなった方の実話を知っていたこともあり、物語への没入感は半端ではありませんでした。内容を知っているだけに、物語としてどのように展開するのか興味がありました。

「風のマジム」

また、鉄道会社のプロモーションの一環で書かれたケーキ屋さんが舞台の甘い甘い作品には、温かい人々が描かれており、架空のケーキ屋さんでしたが沿線の人たちが羨ましくなってしまうのでした。

作家による飲み食いの記録(エッセイ)も、読み応えがあり、お腹が空きました。

「スイートホーム」・「やっぱり食べに行こう。」

アートが題材の作品以外に、僕が印象深い作品には、犬が登場しました。犬を飼うことの喜びや、犬と過ごす時間の満たされた感じを楽しみながらも、唐突にやってくる作家ならではの“うねり”に打たれました。

「一分間だけ」


原田マハの作品と出会って数年、本屋や図書館で見かけるたびに、こんな作品があったのか、これも書いたのか、あれも読みたいなどと慌ただしく過ごしてきました。

そして、昨年の年末に、本屋で平積みされていた文庫本を発見したのです。

「風神雷神」(上)「風神雷神」(下)

史実とは異なるフィクションと分かっているけれども、生き生きとした人物像が描かれていると、本当にそうだったのかも・・なんて考えてしまうものです。

日本の美術の歴史と西洋絵画の邂逅を、意外な人物を描くことで実現させてしまう発想に、改めてこの作家の凄さを知ることとなるのでした。単行本としての出版自体は2019年のようなので、今まで気がつかなかったのは不覚でした。


多くの作品に共通していると感じるのは、作家自身がモデルではないかと思われる元気な女性でした。女性たちの活躍や葛藤は、作家が読んでほしいと考えている人物像なのかも知れないし、そういう人物になって欲しいと励ましているのかも知れません。

絵画という作品が、誰かの癒しとなり、そして成長への糧となること、挑戦への背中を押す力になってくれること、作家の物語はともすると高尚な美術評論的なフィクションのように語られることもありますが、むしろ僕は、絵画や美術館への敷居を下げようと、アートを身近なものにしようとしているのではないかと思うのです。

初めて作家の作品を読んだときに、僕が一番感じたのは「作者は、言葉の力を信じている」ということでした。ともすれば、言葉は儚いものですが、物語の中で語られる言葉には力があり、自信がありました。何か違う、でもそれは、はっきりと分からないものでした。

読むだけでなく、書くことを続けてきて思うことは、表現することは意外と大切だということ。考えている、思っているだけでは、やはり伝わらなくて、伝えたい相手に伝えていくことは大事だなと思うのです。


マハって・・いえハマってしまった、最大の要因を考えてみました。いろんな作品があって、その度に同じ作家さんと思えないくらい表情が違ったりしますが、共通していると思うことは、こんなことでした。

少しずつ物語を進んでいくと、元気になれる読み終わりが待っている。

まだまだ読んでいない作品が沼にプカプカと浮かんでいて、手を伸ばしてはズブズブとハマっていく僕の姿が見えます・・・。


#ハマった沼を語らせて #読書 #原田マハ #推し #アート小説

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