書くは遊ぶ、遊ぶは生かす #書もつ
鬼の姿をした異形の神、鬼神。なかでも、風神と雷神は、とても有名です。ギョロリとした目玉と、隆々とした肉体は多くの人が想像するところかも知れません。
その目つきは厳しいばかりでなく、くりくりしていてどことなくコミカルでもあります。観る者が作品の前に立ったとき、対になった鬼神たちが近づいてくるような構図に、観ているだけなのに居心地の悪さを感じたことがある人もいるでしょう。
書店に平積みになった文庫本、その表紙の鬼神たちに睨まれて思わず「あっ!」と、声を上げてしまいました。
好きな作家の未読作品でした。
これは読むしかない。
風神雷神(上)
原田マハ
アート小説、そのジャンルを疾走する作者の“和風”の作品なのかな?
それが表紙の印象でした。
ふだん、西洋絵画を中心にモダンアートの額縁をあれやこれやと掛け替えているような物語の名手による、日本の伝統的美術への問いかけ・・そんなふうに期待しつつ読み始めました。
なんというか、・・期待を大きく超えてきました。鳥肌が止まらない。
上下巻に分かれているのですが、上巻を読んだ時点で、この投稿を書き始めました。・・・書かずにいられないのです。
研究者、描き手、描き手を支える友、プロデューサー(世の中に出す人)、観る人・・・作家のこれまでのアート小説に登場する人物を大別すると、きっとこんな感じでしょうか。
研究者こそ作家の得意とする人物像が描かれていますが、今作がすごいのは、その後に登場してくる“役者たち”が、歴史に名を残す逸材であるということ。
「時代が同じ」この一点の交わりから、こうも物語が紡ぎ出されるのかと驚きと感動を覚えながら、彼らとともに旅に出るのです。
ページを繰るたびに広がって行く世界と、深まって行く視点、一気に走りだしたり、ゆっくりと散歩してみたり、物語は緩急鮮やかに進んでいきます。船酔い注意。
ここまで登場人物の名前を隠していましたが、もどかしいので、物語の中心となる絵師だけでも。
風神雷神の屏風絵を描いた、俵屋宗達。
その人物こそ、今作の中心となる絵師なのです。
上巻では、稀代の絵師、宗達の出自を中心に、同じ時代を生きたであろう少年たちの成長を描いていました。少なからず知識として知っている名前の人物たちが生き生きと描かれ、綿密に史実にあたっている歴史小説のような完成度に高められているのです。
物語がようやく落ち着いて流れ出した頃には、作者の遊び心の感じられる描写もあって、読み手はニヤリとさせられるのです。
新しいもの、まだ誰も見たことがないもの、そんな景色に思いを馳せて、名誉と命とを引き換えに旅に出る少年たちを、応援しながら、ときには羨ましく思いながら。
果たして、どんな景色が待っているのか。
この投稿が公開される頃には、下巻も読み終わっているはずです。下巻の投稿も、お楽しみに。(いちばん楽しみにしているのは・・ほかならぬ僕ですが)
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