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ランチタイム・カルテット

これは、僕の勝手な思い込みかもしれないけれど、楽器を趣味にしている人は、楽器を持ち運ぶことはさほど苦にはならないくらいに、体の一部になってしまいます。

でも、それは知らない人が見れば結構な大きさの荷物だし、中に何が入っているのか分からないから、重たそうに見えてしまうわけで。大体、楽器のケースは黒とか濃い色をしているから、見るからに重いということもありますが。

僕はトランペットを吹いていたので、トランペット用のケースを持っているのだけれど、実はひとくちにトランペットケースと言っても、さまざまな大きさやデザインがあるのです。ほんと面倒くさい(笑)

以前所属していた職場に、その楽器ケースを携えて持っていった時のこと。基本的に、わざわざ「それって楽器?」と聞いてくる人はいませんでした。冷め切った人間関係なのではありません。僕が、楽器のことを話すような間柄の人がいなかったのです。

しかし、書類の書き方を聞きに来た先輩が、本題の質問より先に「もしかして、トランペット?」と質問をしてきたのです。

僕が、楽器を吹いていたことも知らないはずなのに。

僕のケースはモスグリーンの布張りで、長方形。トランペットという楽器の特徴的な形はどこからも感じ取れないし、ケースに刺繍してあるのも日本ではマイナーなメーカーのものでした。

先ほども書いたけれど、ふつう楽器ケースのことを聞かれる時には「それ何?」か「楽器ケース?」が殆ど。しかし、先輩はすでに楽器ケースと認定し、中身を確認したのでした。

トランペットであることを白状し(悪いことはしていない)、たまにスタジオで個人練習しているのだと伝えると、いよいよ嬉しそうに、こう言ったのです。

「今度みんなで一緒にやろうよ!」

その先輩は、フルートを吹いているとのこと(以下、フルートさん)。同じトランペットならば、ケースが多少違う形でも分かりそうなものですが、まったく違う楽器だったのは、ちょっとした驚きでした。

一緒にって・・と思っていたら、僕の隣に座っていた先輩が「実はファゴット吹いてて」と言ったのです。知らなかった。(以下、ファゴットさん)

ファゴットはあまり一般的ではないけれど、木管楽器の中でも人気の高い、温かな音色を持つ楽器です。

別のフロアでお世話になっていた先輩も、実はオーボエを・・と、噂に聞こえてきて(以下、オーボエさん)。オーボエは特徴的な音色で、むかしNHKの朝ドラのテーマ曲で日本が誇るオーボエ奏者の演奏を聴くことができました。

ちなみに、朝ドラということではトランペットも活躍した時期もあったのです。「天うらら」というタイトルで、爽やかなイケメンロシア人トランペッターがキラッキラ吹いていました。

職場に戻ります。

トランペット発覚以降、あれよあれよと木管楽器プレイヤーが集まりつつありました。

どうやら、フルートさんがしっかり根回ししてくれて、なんだか知らぬ間にカルテット(四重奏)が結成されたのは、ほんの数日しかかかりませんでした。

でも、待って。集まったのは、僕以外、木管楽器。いや別に、ひとり金管楽器だから居心地悪いとか、そう言うのじゃなくて、音色、いや音量に問題があるのではないかと思ったのでした。

楽器の構造や材質の性質もあって、一般的には金管楽器の方が大きな音が出せるようになっています。木管楽器は、金管ほど息を吹き込んだり、顔を真っ赤にして“吹かない”楽器です。そんなことして吹いたら、楽器か自分のどちらかが壊れてしまうくらい、繊細ともいえます。

そんなこんなでメンバーが集まって、フルートさんが譜面を用意してくれました。すごいのはここから。練習をほぼしない状態で、すぐに合わせようということになったのです。

お互いに業務が忙しいし、たまたま空いている日に集まったのだから、勿体ないという意識も共有していたこともあります。

楽器を集団で吹いたことのある方なら、きっとわかると思うのですが、ふつうの人はソリストほどの腕ははないわけです。だから、練習がいるのです。しかも、僕以外は子育て中のママたち。ブランクもあるのです。

それでも、フルートさんは軽やかに言ったのです。

「大丈夫、楽しいから。」

そして譜面を見てまた驚かされました。初見しょけんで吹けるとは到底思えない、オペラの名曲「フィガロの結婚・序曲オーバーチュア」でした。

そうかそうか序曲だね、と頷ける方はどのくらいいるでしょうか。まず序曲ということも説明が必要なのですが、大雑把にいうと、オペラの本編が始まる前の概要版を楽曲で表現したものなのです。

しかも、僕の譜面はclarinetと書いてありました。クラリネット、パパが持っているそれを壊してしまった子が歌っていたような・・。その楽器用の譜面をトランペットで吹くのだから、かなり大変なのです。イメージとしては、野球のバットでテニスをするような感じ(逆に分かりにくい)。

ファゴットさんは、ブランクが数年もあると笑い、オーボエさんは指が動かないと嘆いていました。しかし、フルートさんの抜群の包容力によって、演奏が始まってしまったのです。


これが、まぁ、


いや、なかなか、


いい感じ


ところどころ間違えたり、“落ち”たり(音を出すべき場所を見失うこと)するのですが、何とか持ち直したり、みるみる音が溶け合ってみたり、音量が譜面の通りに聞こえてくるのだから、すごい。みんなが楽器が上手なのかも知れないけれど、いや、そういう小手先の技術は全然関係ないのです。

見知った仲間と、一つの音楽を作りだそうとする気持ちが、いつの間にか僕たちを真剣にさせて、楽しくさせていたのです。

初見の楽譜を見るので精一杯だから、他の人の表情を見ることは叶わなかったけれど、不思議なもので、音でわかるのです。耳で、楽器の音、息つぎブレスの音を聞き取っていると、熱を帯びるのが感じられるのです。


このたった一回の合奏をしただけで、カルテットは解散しました。

もともと、継続する意図はなくて、とにかく、フルートさんがみんなでやろう、と言うことだけで動いてくださったから。あっという間の出来事だったけれど、それは今でも心に残るランチタイムになっているのです。

そう、ずっと気になっていた人もいるかも知れません。僕たちは、職場でこの合奏をしました。

もちろん、一般の利用者の方もいるため、人目につかない部屋を選んで音を出していたけれど、4人も集まっているのだから、静かという訳にもいかなかったのです。人目につかないけれど、音は漏れてしまうのは楽器演奏の宿命とも言えます。


慌てて楽器を片付けて、自分のデスクに戻りました。

そこには、やっぱりいつもの職場がありました。


「楽器の練習をしてるみたいな音がしていたよね。
普段は電話の音だけだけど、たまにああいうのもいいよね。」


(多分)何も知らない上司が、ちょっとご機嫌になっていました。


誰かに届けるつもりではなかったけれど、

やっぱり音楽っていいよね、と思いましたとさ。


オーケストラの演奏ですが、これです。よく初見でやったな・・。




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