「深い河」読了感想⑵
私の神さまを信じるというのは、②の状態をつくりだす為のクッションとして神さまを設定していることになるのだろう。自分を信じるための理由や裏付けとして神さまがいる。例えば、画鋲のとれていたポスターを直したとき、神さまはそれを見ていて、いいコトをした、と自分の行動を信じる。善行であると。ではなぜ善行であると信じたい衝動が自然に生まれているのか。他人が関係するのであれば、嫌われると自分に不都合な出来事が起きかねないので、合理的なリスク回避である。では、自分ひとりの時の行動は?
そもそ