人生

大したことは何も言ってません

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梶井基次郎氏の文との出会い

習作 10.16.2023 恥ずかしながら、わたくしが初めて梶井基次郎さまのお書きになったものを拝読いたしましたのは、十七の秋でありました。いえ、わたくしが恥ずかしく思っているのは、それまで彼の作品に触れてこなかったこと自体ではなく、小学生のころに見栄を張って「檸檬」をおこづかいで手に入れておきながら、ずっと本棚のこやしにしていたことです。本にしろ食べ物にしろ、わたくしはどうも自分のキャパシティを見定められていないところがあり、ついつい身の丈に合わない量や質のものを買ってし

    • あいうえお

      母の妹の娘、つまりわたくしの従姉妹のAちゃんとの話です。わたくしが夏休みに母の実家に帰省した際、彼女は五歳で、わたくしが十五歳でした。彼女の声は年相応に高くよく響き、なんだかおかしくて度々笑ってしまいそうになったことを憶えています。 わたくしとAちゃんは中々気の合うようでした。彼女の、周りをよく観察して動く、人見知りでありながらそれなりの会話をする性質に、わたくしは大変感心し好ましく思っておりましたし、彼女のほうもまた、わたくしの愉快な雰囲気に惹かれていた様子でした。 ともあ

      • 日記 2022/09/11

        *駄文、記録のため。 深い河を読んで、日本人が外国へ行き、何を感じ、考えたのかという文章の興味深さを知った。 私は小学校四年生のときに、十日間だけアメリカへ行ったことがある。八年が経った今、思い出されるのは、薄暗い地下鉄のプラットフォームと、ジオラマのようなハーバード大学の構内、スミソニアン博物館の薄い照明のなか、ぼんやりと浮かんでいた爛れた米国旗、そして沢山のメモを残した小さな手帳のことである。 当時、もちろん何もかもが新鮮に感じられたのは言うまでもないが、しかし

        • 挫折

          ああ今、挫折したんだな、そういう感覚を持ったことはない。少し時間が経ってそれでもまだ、私は頑張れる、大丈夫と信じて、それからまた少し時間が経って、そこでようやく自分の挫折に気がつく。ピンと張ったゴムが弾けた、その音を耳にしてようやく気がつく。 挫折は、本当はもうとっくの昔にしていて、それでも諦めたくないという強い気持ちだけでギリギリとゴムを引き絞っていた。 くやしくて涙が出るのは、どうやら挫折したことそのものが原因ではなさそうだった。今、確実にゴムは弾けてしまったのだとい

        梶井基次郎氏の文との出会い

          3月下旬、棚田を見に行った。ゆるい坂道をのらりくらりとのぼった先に、タバコをふかしている農家のお兄さんがいた。 地域に足を踏み入れる感覚がすこし怖かった。その場所にはりめぐらされた関係を何も知らないで立ち入ることが怖かった。なんだか後ろめたくもあった。お兄さんに出会うまでの十数分の道のりで、たくさんのものを見た。とれたて野菜の無人販売所、大きな丸太、あのまるっこいライトが取れて、血管のような線が剥き出しになったフォルクスワーゲン。生活と仕事を感じて、自分を恥じた。何もしていな

          雨を感じる試み@都市

          1 AM 7:30 朝、目を覚ましたベッドの上で、あ、雨だ、と思った。つめたい寝室に響くたん、たんという音。通り過ぎていく車の音。そのたびにざっと鳴る濡れたアスファルト。隣に体温があるとよりはっきり感じられるのものだ。シーツから少し出た肩がひんやりとして、その滑らかさをより美しくみせていた。 もう一度目を瞑ると、今度はもっといろんな音が聞こえてくる。風の寄せる音、揺れる木々の音、カラスの遠慮がちな声、缶が転がる音。 また、車が通り過ぎていった。そうしているうちに、わたしは海を

          雨を感じる試み@都市

          「深い河」読了感想⑵

          私の神さまを信じるというのは、②の状態をつくりだす為のクッションとして神さまを設定していることになるのだろう。自分を信じるための理由や裏付けとして神さまがいる。例えば、画鋲のとれていたポスターを直したとき、神さまはそれを見ていて、いいコトをした、と自分の行動を信じる。善行であると。ではなぜ善行であると信じたい衝動が自然に生まれているのか。他人が関係するのであれば、嫌われると自分に不都合な出来事が起きかねないので、合理的なリスク回避である。では、自分ひとりの時の行動は? そもそ

          「深い河」読了感想⑵

          「深い河」読了感想 ⑴

          2022/9/10 しるす 戦友という単語を見たとき、これまでは、同じ目標に向かって同じ場所で苦楽を共にした相手、そこに何かしらのプラスのイメージが私の中に息を潜めていたように思ってはっとした。 私には今まで戦友と呼べる相手はいないと思っていた。同じ目標に向かって同じ場所で時を共にした相手、という定義であるならば、バレエ教室や学習塾で時を共にした友人たちがそれにあたるはずであるが、私にはどうもそう思える相手が思い浮かばない。ならば、もっと他の条件が私の思考の中に存在して、そ

          「深い河」読了感想 ⑴

          生理

          指を差し込み、内壁を撫でる。案外どろりとはしていなくて、かたまりになった黒いゲルが付着する。その黒を電灯にかざす。角度を変えると、光が鳶色に反射して、琥珀みたいだなと思った。太古の命が閉じ込められた、あの石のようだと思った。 子宮からあふれた血はあまい。わたしを包むこのあまい香りがわたしは好きだ。他人のそれはわからないのに、なぜ自分の香りだけはわかるのだろう。鼻ではないどこか、どこか体内で、その香りを嗅いでいるのだろうか。 それならばとわたしは指を鼻にちかづける。あいもかわら