渺茫とした海と街で艶やか心を取り戻す

海の静けさから潮風がそっと匂いだす。それは夏の趣を帯びて砂浜に溶け、また地球の大地に消えていく。水平線上から打ちあがった入道雲は真っ青なキャンパスの中央に力強く描かれている。その下には、小さくなった船がある。そして手前には白波で身体を揺らす子供と親が照り付ける陽ざしをも喰ってしまうほどの笑顔を弾ませて楽しんでいる。私はそれをじっと見ている。足跡が、私の、辿りを示してゆく。背中には私の暮らす街が佇んでいる。夏の狭間に転がった一日の昼下がり、陽ざしが前方の親子の顔に差し込む。奥に見えていたはずの船が一瞬消えゆく。オレンジが溶け込んだ光の前に私は立っている。そっと沈んでいく足場にぼんやりと立っていると、そーと私の世界が染まっていく。

私の住む街でさざめき合う海は美しかった。

オレンジ色の光が身内に混ざり込んだあと、次に私自身を取り戻したのは水平線上にオレンジ色の太陽が顔を沈めこもうとしていた時だった。

心のより何処とは、現実にこそ並び立つ。
人間は自分の五感で感じるものでしか満たされることはない。
なぜだろうか、私は現実と空想の境界線が破壊されていく感覚がある。
だから、この街の西北に広がる海に足を運んだのだ。

夕闇の向こう、一つの光が回転しながら夜を告げる。
私は砂浜を歩いていく。白波が指先で跳ねて、少し肌寒さを及ぼす。涼しい、これが夏の瀬。不思議と幼少期に寝そべった感情が起き上がるのを感じる。心が跳ねていく、足が速まる。足跡が青白い波に連れ去られていくーーーー私の心が海で躍っている!!!


夜に垂れるカーテンを潜り抜けて、また砂浜から飛び出して、昼下がりの辿りを帰路として街に辿り着く。何かが変わったような心持がある。星空に飛来する蝙蝠が可愛らしく見える。あの、不気味な飛び方、あの、不可解な姿が今は夜を共に歩く相棒のように思えて自然と心が跳ねる。夜。夜というのは怖い。ここ、数年の私にとって夜という物は触ろうと手を伸ばせば伸ばすほど遠のいていき、それでいて、ふと手を降り下げた瞬間に襲い掛かって来る獰猛な猛獣のように感じる。毒にも薬にもなる、夜。だから、救われる日もある。しかし、その救いが年々減っている、と感じてやまないのだ。


私は歩道を歩いている。街に潜む野良猫の赤光・行方も知らぬ虫の塊・ちぎられ干からびた草木・靴跡が付いた花びら・四肢が分断された蝉・闇で飛来する蝙蝠・轟音を並びに走る風・月光に照らされた、私の暮らす街。
風景の一瞬一瞬を切り取って歩いていく。
私の街の風景がそこに住んでいる。現実にしか零れていない景色がある。ここにしかない価値がある。私はそれを死ぬまで見ていたい、そんな気持ちが私の干からびた身体を潤して運んでいる。
空想では満たされない、私の心。空っぽで欠けた瓶。現実が塞いで止めどなく新鮮な水を注ぎこんでいく。その証拠が、私が今文章を描いていることに繋がる。私は今日現実を歩いて、しっかりと満たされたのです。

「海街と心」

毎日マックポテト食べたいです