【セブ旅行記②】トタン屋根の家、セブシティの大型モール、痩せた野良犬猫
日本なんて比じゃない格差社会
セブ旅行記、1つ目は経済格差について。
セブで一番驚いたのは町並み。今回は空港のあるマクタン島に泊まり、たまに隣のセブ島のセブシティにくりだした。つまりそんなに辺鄙な田舎に行ったわけではない。にも関わらず、私がみた町並みはあまりに貧しかった。ドアや窓がない建物が多く、大体の屋根はトタンだった。
ちなみにこれを撮影したタクシーは信じられないほど古く、車窓にいろいろついていて急に故障しないかちょっと不安だった
4日目の夜大雨が降り、冠水状態になっている道路をタクシーから見たとき、この建物たちを思い出して心配になった。
ちなみにドアがないと思っていた家にはサッシのようなものやカーテンのようなブルーシートがついていたから、それを雨よけにしているのかな。
ホテルに近づくにつれてガソリンスタンドやセブンイレブンなどのちゃんとした建物を見かけるようになったが基本的にはおなじような街並みが続いた。ホテルのクオリティが心配になったが、貧富のグラデーションを感じないうちにきれいな私たちのホテルが現れた。
私たちが三日間泊まったSolea Mactan Resortはファミリー向けのホテルで、キッズ用のかわいいプールからインスタグラマー御用達のプールまで揃う素敵なホテルだった。2日目の夜に結婚式をしていたようで、参列してるキッズたちがキャッキャと遊びながら私たちのためにエレベーターを空けてくれたり、とっても可愛かった。現地の人たちの明るさやカジュアルさについても他で書こうと思う。
このグラデーションのない貧富の格差を見て、高校の時現代文で学んだゾーニングという概念をを思い出した。
高校の現代文で読んだのは、ディズニーはあの舞浜という埋立地でゾーニングされており、お客さんはその雰囲気に洗脳されているという批判的な文章で、何故か先生もディズニーのゾーニングに怒っていたが本来はもっとフラットな意味らしい。
ホテルを出てすぐの場所にあるのはさっきの写真にあるようなお店たち。貧と富が隣り合わせにあることが衝撃的だった。友達がこの状態を見て、「ネットが発達した現代で、インスタとかで自分よりいい生活をしてる人を見て不幸になるとかいうけど、ここは日々生きてるだけで自分とは違う生活を見せつけられるね」と言っててその通りだなと思った。
あまりに貧困を感じるのでフィリピンの平均年収を調べてみた。友達の予想は300万。ちなみに日本の平均年収は500万程度。みんなも予想してから答えをみてね。
正解は下記。文字通り桁違い。
フィリピンでマクドナルドより普及しているファストフードチェーンのジョリビーの初任給は500ペソらしい。記事にある通り、多分その分ちゃんと物価は安いんだと思う。私は衛生面に不安が残るものは食べず、口コミがよいレストランやホテルビュッフェにしか行かなかったので物価の安さを体感することはあまりなかった。
フィリピンの貧困はスペイン統治期(1521-1899)の大土地所有制度に起源があるらしい。お金を払って土地を借りて畑を耕す大量の小作人と、それを管理する少数の地主が生まれ、現在も十分な農地改革がなされずに貧富の差が拡大し続けている。農地改革なんて歴史の授業で習った言葉が現在も問題になっていることが衝撃だった。
セブの中心地にアヤラモールという大きなショッピングモールがあり、普通に日本のアウトレットぐらい大きい都市的な建物だったが、それもスペイン領フィリピン社会の富裕層の一族が設立したものらしい。日本の財閥的なことかな?
フィリピンの経済が発展して経済が発展していけば貧困も良くなっていくのかなと思いきや、話はそんな単純ではないらしく、経済が発展していくと物価が上がるから低所得層の人たちの暮らしは厳しくなっていくらしい。なるほど~。
農地改革が進まない原因として、大統領よりも力を持っている議会に地主出身者が多いことなどがあげられるみたい。さらっと調べただけだからほかにもあるかも。
セブで衝撃を受けるたびに日本と比べていたんだけど、日本の農地改革も財閥解体も戦後GHQによって行われた(と記憶している)。歴史で農地改革を習ったときは、単なる用語として頭に入れていたけど、農地改革がこんなに大切なことだとは初めて知った。ちなみに日本が外部からの力で政治を変えたのに対して、フランスをはじめとしたヨーロッパは内部から市民革命をしたんだよね。抗いようのない強大な勢力を前にして、自分たちの力で現状を変えようとしたこと、本当にすごい。日本は外から、欧米は内から改革をしていったのに対して、東南アジアはどうやってこの貧困を乗り越えるんだろうか。
犬猫たちのおはなし
人間以外に話を移すと、町中に野良犬、野良猫、野良ヤギ、野良牛が大量にいた。犬猫は当然去勢されておらず、犬にも豚のようなおっぱいがあることを初めて知った。
日本の犬猫が去勢されていることを知った幼い時の私は、人間が管理できる分だけのペットを飼いたいというエゴのために彼らの本能を奪うなんて残酷すぎると思っていたが、今回自由に繁殖している犬猫を見て、去勢の必要性を実感した。自由繁殖した彼らが食べていく術はない。町中にやせ細った猫や犬がたくさんいた。
屋外のレストランで食事をしていた時、やせた猫が近寄ってきた。はじめはかわいいなと思ったが、すぐに両耳が切れて血の色になっていることがわかった。目が離せないでいると、はっきりと私の目をみながらか細い声で鳴いてきた。ご飯をねだられていた。どうしようもなく切ない気持ちになった。なんとなく良くないことだとは感じていて、友達にも何度も止められたが、いつ絶えてもおかしくない命と、目の前に運ばれた料理を見て、食べ終わった後のエビフライのしっぽをあげてしまった。地面に落ちたそれに飛びついて夢中で食べる姿を見てもうひとつ与え、三つ目をあげたところでここからどうすればいいのかわからなくなった。私がこの子を飼えるわけじゃないのに。ここでご飯をあげるのをやめて、この子が椅子の上の私にかみついたらどうしよう。狂犬病をもらってしまうかもしれないという不安もあった。困っていたところに店員さんが来て、床に霧吹きのようなものをかけると猫は逃げて行った。情に流されてすごく無責任な行動をしたことは重々承知だったが、どうすればよかったのか全くわからない。今同じ状況になったとしても同じことを繰り返してしまうかもしれない。
感覚ではわかっていたが具体的にダメな理由がわからなかった私は、友達にダメな理由を聞いた。
・エビのしっぽがその子の体に悪い
・また食べられると思って猫が寄りつくとレストランに迷惑
と言われたが、その時は
・体に悪いとしてもこのまま飢え死にするよりは良い
・レストランの売り上げよりその子の命
と思ってしまった。私の考えが浅くて甘いのは今ならわかる。
ただ友達が言っていた、「自由繁殖して生き残れるやつが生き残るほうが自然じゃない?日本だって大量に殺処分してるじゃん」という言葉はその時でも理解ができて、この問題の複雑さを学んだ。
また、人々の貧しい暮らしぶりも見ていたので動物の健康状態に構っていられないことも理解していて、その現状を見ているだけの自分の非力さを痛感し、せめて大量のお金を持っていればなんとかなるかな?転職しようかな?というかまじでフィリピンの政治もっと頑張れよ!の気持ちが涙となってこぼれてしまった。
悲しくなるので私の行動に対する批判は全く求めてませんが、こうするのが世界をよりよくする方法では?みたいなご意見があればコメントください。。
と、ここまでが私の感想で、世界の犬猫事情を調べると知らないことばかりだったので記載。
▼去勢手術が健康に悪影響を及ぼす可能性がある
去勢手術=善の考え方は世界共通じゃないらしい
▼スウェーデンでは動物愛護の観点から去勢に否定的
▼狂犬病について。狂犬病洗浄地域、少なすぎない・・?
狂犬病、発症すると致死率100%って知らなかった。海外の犬には気をつけろって聞いたことあるけどそこまでとは。ちなみにワクチンで100%予防可能らしい。
▼インドでは仏教の不殺生(アヒンサー)の考えから、野良犬の殺処分が規制されている
野良犬の繁殖具合は単純に国の貧困の問題かと思っていたけど、宗教や文化とも密接に関わっているようだった。フィリピンの野良犬、野良猫は比較的大人しいみたいだけど、やっぱり狂犬病のリスクを考えて積極的にこちらからかかわるのは避けようと思った。
まとめ
経済の話、めちゃくちゃ暗い話題になってしまったけど、所詮GDP3位の日本で生まれ育った私から見た感想なのだと思う。私が関わったPhilipinoは全員陽気で思いやりにあふれていて、とっても素敵な人たちだった。町で裸足で遊んでいる子供たちの笑顔も、モーターサイクルに載せてくれたお兄さんの笑顔も輝いていて、私が勝手に暗く記した経済の中で生きている人とは思えない。彼らの暮らしぶりを見ていて、幸せの形は多様なんだなと改めて思った。
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