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はじめに

いつの間にか月日経っている。この繰り返しを経て、今現在がある。

人は、限られた時間を与えられている。毎日時間が与えられているから、つい限られた時間ということを忘れてしまう。この世界を知るため、体験するため、内なる輝きを放つ時間なのだ。過ぎ去るという仕組みを持った最高の贈りものなのだ。

この世に生を受ける確率は、7兆分の1と極めてその確率は低いと言われる。その確率を知っていながらも、周りを見渡せば、あそこにも、ここにも、みんな7兆分の1。“奇跡”なのだと意識しながら日々の生活を送っているわけではない。ついその貴重な自分に与えられた“奇跡の時間”の大事さを忘れてしまう。

その“奇跡の時間”の中で、子育てをしていて初めて、自分の時間を身を持って、体験の中で知ることになった。“奇跡の時間”は人のエネルギーなのだと。

赤ちゃんから、幼児、児童と成長する中で、ここまでの時期は特に多くの時間を子供に分け与える。小学校に通っていても、そばにいなくても、『今どうしているかな?授業中かな?夜ごはん何かいいかな?』と子供の事を考えている間も、夕飯の買い物中も『○○ちゃん。これが好きだからこれを作ろう。』子供に自分の時間を分けているのだ。子育てとは、向かい合い育てる時間そして、その子供を想うその時間のすべてが、自分の時間を与えていることだったと今更ながら思う。

子育てとは、自分の“奇跡の時間”というエネルギーを子供に注ぐことなのだ。
いい例えが浮かんだ。“花“だ!花の種は、お腹の中にいる赤ちゃんだ。そして、土に植え、小さな芽が出てきた。この世に誕生した我が子だ。そして、水を与え、肥料を与え、可愛がり、すくすく大きくなり、花を咲かせるほどに成長し、水を与え肥料を与えているのは、時間というエネルギーなのだ。水を汲んで与える時間。肥料を与える時間。可愛がる愛情のすべてが、自分の時間を分けるという行為なくして、花は育たない。子供を授かった時から、自分のためだけの”奇跡の時間“ではなくなるのだ。

もちろん、パートナーであったり、親であったり、友人であったり、時間を分け、時間を共有して喜びを夢を分かち合い、その限られた時間というエネルギーの針を進めてきたのだ。
人は、自分の時間を分けずに生きていくことは不可能なのだ。その限りある大切な“奇跡の時間”をより多くの人と共有し、優しさも勇気も希望も成長も分け合いながら、毎日このnoteに訪れた方々ひとり々の方と乾杯をしながら、このnoteをはじめていきます。


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