『落研ファイブっ』(14)「ウミウのいない崖」
関東私鉄最南端の駅として知られる三崎口は、時間の流れがどことなくゆったりしている。
〔仏〕「ほら本当に『ページヤ』があるだろ」
特急から降ろされてご機嫌斜めな松尾を『ページヤ』のチョコカスターいちご味で釣った仏像は、三崎口駅の改札を出ると真新しい看板を指さした。
「何で『ページヤ』が神奈川にあるの?! 群馬を離れてたった一か月強なのにすでに懐かしい」
花粉眼鏡を取り去った松尾は、こよなく愛する『ページヤ』の新店に向かう。
※※※
「チョコカスターいちご味以外に何か買ってくか」
「牛三種メガ盛り弁当」
「ここは三崎。マグロの聖地だぞ」
「ぎゅうさんしゅ! めがもりべんとう!」
強情な松尾の提案に、仏像は牛三種メガ盛り弁当を二つ取る。
「ゴーさん、チョコカスターいちご味は期間限定でした」
ベーカリーコーナーでしょんぼりと肩を落とす松尾にごめんなと言うと、仏像はチョコカスターバナナ味といちごアイスを二つずつ買い物かごに入れた。
テラス席に腰掛けてチョコカスターバナナ味にいちごアイスを広げていると、大きな鳥が松尾の頭上ぎりぎりをかすめる。
とんびに取られまいとがつがつチョコカスターバナナ味を食べきった二人は、いちごアイスをトンビから守るように手元に抱えた。
「油断もすきもねえな。道理で地元民は中の狭い席にいるのか」
地元民を見習って狭い席に押し込められながらいちごアイスを食べると、時刻はちょうど十一時を回った所だった。
「せっかくだから弁当は城ヶ島で食わねえか。午後六時半までに家に戻るなら十分時間はあるよな」
「城ヶ島ってGWの日帰り合宿予定地ですか」
「そう。レンタサイクルが借りられるからそれで行こう」
松尾と仏像は電動タイプのレンタサイクルを借りると、早速城ヶ島へとこぎ出したはずが――。
食べ盛りの男子らしく、松尾は『三崎のまぐろ』ののぼりが立つ大通り沿いの食堂に向けてこぎ出した。
「そっちじゃない。城ヶ島はこっち」
仏像の声はトラックの走行音にかき消され、松尾はのぼりの前で仏像を待った。
【新商品 江戸前の味覚『鱈もどき』】
松尾に追いついた仏像は、店先の張り紙に目を向けた。
「帰りに寄りましょう」
松尾の提案にうなずくと、仏像は松尾の前に出て城ヶ島への道を先導した。
〈城ヶ島〉
城ヶ島の自転車置き場にレンタサイクルを置くと、二人は牛三種メガ盛り弁当をぶら下げて歩き始めた。
「これが太平洋かあ」
「松尾の下宿から毎日見えるだろ」
「アレは横浜港」
「太平洋の一部だし」
「ぐぬぬ」
松尾は部活中よりも目に見えて快活な話しぶりである。
「そう言えば群馬は海無し県だもんな。海水浴には行ったことあるの」
「マイアミぐらいです」
「いきなり海外かよ。松尾も帰国子女なんだ」
「松尾『も』? 僕は違いますがゴーさんは帰国子女ですよね」
「うん。アメリカ生まれで、小五の時に父親の仕事の都合で日本に移住した」
仏像はごきっと首を鳴らした。
「それで三年生にもタメ口なんですか」
「敬語は使えない訳じゃないけど、ついついタメ口になりがち。特に矮星には」
「どうして多良橋先生は矮星何ですか」
「『メキシコ湾のスーパーノヴァ』って自己紹介して、生徒から『白色矮星の間違いだろ』って突っ込まれるまでが予定調和なの。それを短縮して矮星って呼ぶのがお約束」
平日らしくがらんとした芝生広場に二人は腰を下ろした。
「うおおおおっ。テンション上がる。カルビにハラミに塩タンっ」
牛三種メガ盛り弁当を広げてはしゃぐ松尾の声は、四月の空に良く響く。
男子高校生らしい勢いでぺろりと弁当を食べ終えた二人は、三元が泣いてうずくまるほどの距離を淡々と歩いた。
「城ヶ島灯台ですって。思ったより小さい」
「自撮りしようぜ」
互いのスマホで自撮りを終えた二人がハイキングコースを二人占めしながら歩くと、ウミウの展望台のお出ましだ。
「ウミウいないですね」
「冬場しかいないらしいぞ。冬に来るか」
「絶対寒すぎる」
ぶるりと首をすくめると、二人はさらに東を目指す。
「これで東西の灯台を制覇しましたね」
松尾は安房埼灯台を指しながら満足げにうなずいている。
ツーショット写真を更に何枚か自撮りすると、灯台手前の芝生を二人占めした仏像と松尾はごろりと大の字になった。
「GWは実家に帰るって言ったじゃないですか。本当はマイアミに行くんです」
「ああ、『例の件』か」
松尾は小さく『ええ』と応じる。
「あの、ゴーさんは本当にスノボを辞めた事を後悔していませんか」
聞きづらそうに、口をもごつかせながら松尾がたずねた。
「全く後悔なんてない。日本に移住した時にスノボをすっぱり辞めなかった俺が浅はかだった。もう飛びたくない」
飛んでいいわけがない。
小さくつぶやいた仏像の声を、松尾は聞かないふりをした。
〈三崎口の食堂にて〉
「漬けまぐろ丼二つに鱈もどき二つお待たせしましたー」
出がけに松尾が見つけた店に立ち寄ると、総白髪を三角巾で隠した女将さんが大きな漬けまぐろがごろごろと乗った丼と『鱈もどき』をテーブルに置いた。
「これはちょっと、何と言いましょうか。トッテモ斬新ナ味デスネ」
「片言になるまで頑張るんじゃねえ。残せ残せ」
香辛料の効きすぎた吸い物仕立ての『鱈もどき』は、高校生男子には受けない味らしい。
「ここのご主人、落語ファンなんだな。この人な、三元が大ファンなんだよ。小柳屋御米って落語家さん」
口直しにほうじ茶を一口飲んだ仏像が、小柳屋御米師匠の写真つきカレンダーと『鱈もどき』を交互に目で指す。
「それで、『鱈もどき』って料理はシャモが去年の文化祭でやった『棒鱈』って古典落語に出て来るんだよ」
「へえ、こんな料理が出て来るんですね」
「宗像先生が言うには、『鱈もどき』が一体どう言う料理かまでは分からないって事だったが」
丼のサービスの吸い物までが鱈もどきで、二人が開けた椀を無言で閉めると同時に、がらりと入り口が開いた。
「あら熊谷さん早かったわね」
「めばちカマ焼きとシラスおろし、生ビール。メジの漬け。後で金目煮つけ定食」
一日中パチンコ屋に居座っていそうなタバコの匂いが染みついた中年男は、カウンターに座るなり貧乏ゆすりを始めた。
「ういいっー。ぷへあー」
熊谷は毛むくじゃらの大きな手でジョッキをつかむと一気にビールを煽り、まずいもう一杯と言いながらタオルおしぼりで顔と腋を拭いている。
「出ようか」
その様に眉をひそめた仏像が小声で松尾に呼びかけると、松尾は小さくうなずいた。
「漬け丼は良かったんだが」
「おごってもらって言うのも何ですが、あの鱈もどきは」
「無いわ」
二人は口を揃えて三崎口駅のコインロッカーへと戻った。
※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。
※2023/9/3 改稿・改題 2023/11/14・20 一部改稿 2023/12/6 再構成および一部改稿
https://note.com/momochikakeru/n/n7570e26f6d2f
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