文明と地図を考える その30 「南蛮地図と新たな日本図」(前編) 36 瀧波一誠 2018年12月9日 12:00 ¥100 前回の記事では、仏教的世界観が中心であった日本の世界観に、南蛮渡来の「地球球体説」や「天動説」が伝わり、大きな衝撃を与えた、という点について触れました。そして天球儀や地球儀、ポルトラノ海図、メルカトル図法といった、西洋の地理的知識とその資料が伝わったことは、日本における地図製作にも大きな影響を与えていきます。これらの事を踏まえて、今回のテーマは…「図屏風」に見る地図の変遷です。まず、豊臣秀吉の時代、日本と南蛮(スペインやポルトガル)との関係は大きな転換点を迎えます。それは、1587(天正15)年の「伴天連追放令」 ダウンロード copy ここから先は 1,699字 / 14画像 ¥ 100 期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に! 購入手続きへ ログイン この記事が参加している募集 #とは 57,862件 #コラム #とは #江戸時代 #徳川家康 #地図 #地理 #豊臣秀吉 #世界地図 #安土桃山時代 #日本地図 #屏風 36 サポートは、資料収集や取材など、より良い記事を書くために大切に使わせていただきます。 また、スキやフォロー、コメントという形の応援もとても嬉しく、励みになります。ありがとうございます。 記事をサポート