世界図

文明と地図を考える その30 「南蛮地図と新たな日本図」(前編)

前回の記事では、仏教的世界観が中心であった日本の世界観に、南蛮渡来の「地球球体説」や「天動説」が伝わり、大きな衝撃を与えた、という点について触れました。

そして天球儀や地球儀、ポルトラノ海図、メルカトル図法といった、西洋の地理的知識とその資料が伝わったことは、日本における地図製作にも大きな影響を与えていきます。

これらの事を踏まえて、今回のテーマは…

「図屏風」に見る地図の変遷

です。

まず、豊臣秀吉の時代、日本と南蛮(スペインやポルトガル)との関係は大きな転換点を迎えます。
それは、1587(天正15)年の「伴天連追放令」

ここから先は

1,699字 / 14画像

¥ 100

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が参加している募集

#とは

57,862件

サポートは、資料収集や取材など、より良い記事を書くために大切に使わせていただきます。 また、スキやフォロー、コメントという形の応援もとても嬉しく、励みになります。ありがとうございます。