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文明と地図を考える その29 「仏教的世界観と南蛮地図②」

前回の記事では、古代日本の神道の世界観、そして仏教伝来後の世界観の変化について触れました。

その中で、人間が住む「贍部洲」の地図は、当初インド半島を描いていたものが、地理的知見の拡大で改訂され、いつの間にかユーラシア大陸に似た表現になっていきます。

さて、日本における「地理的知見の拡大」ですが、やはり南蛮人の渡来の影響は排除できないでしょう。

ちなみに、日本における「南蛮地図」の呼称は、南蛮を示すイスパニア・ポルトガル(南蛮系)だけではなく、オランダ系(紅毛系)から江戸初期に伝来したものも含みます。
江戸中期以降の蘭学系地図は系統が異なるので、別記事で触れる予定です。

というわけで今回のテーマは

近世以前の日本における世界観の変遷②
「南蛮地図の伝来」

です。

さて、日本に公式に南蛮人(ポルトガル人やイスパニア(スペイン)人)が渡来したのは16世紀(1500年代)半ばくらい。
有名どころでいえば1543(天文12)年の種子島における鉄砲伝来、さらに1549(天文16)年のフランシスコ・ザビエル

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